大正事件史探訪・大輝丸海賊事件
では本日は、「事件史探訪・大正篇」といたしまして、大輝丸海賊事件をお届けいたします。
- 作者: 小泉輝三朗
- 出版社/メーカー: 大学書房
- 発売日: 1955
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シベリア出兵により駐留していた日本陸軍一個大隊および居留民が赤軍パルチザンにより殺害され、700人あまりが犠牲になったこの事件は当時の日本に衝撃を与え、反共・反ソの気運が高まりました。
ここで、稀代の豪傑・江連力一郎なる怪人物が登場します。
茨城県生まれの江連力一郎は、剣道・柔道・縄・棒・槍術・鎖鎌・居合・手裏剣・馬術・ピストル・古式泳法など武芸百般に通じ、大正3年から4年にかけては、在籍していた明治大学を中退し、東南アジアを武者修行して歩いたという剛の者です。
その彼のもとに、亡命の白軍将校と自称する白系ロシア人や、満蒙共和国樹立を目指す馬賊の頭目などが集結し、途方もない計画を話し合ったのが大正11年のこと。
このロシア人いわく、赤軍により麻のごとく乱れたロシア極東に白軍共和国を樹立したいので日本の志士に協力してほしい。ついては、サハリン・カムチャツカ地域の金鉱脈を進呈する、というからどこからどう考えても怪しいことこの上ないのですが、この計画に江連は乗ってきます。
かくして、江連力一郎は人脈をフル稼働してスポンサーを集め、金山周辺を支配している赤軍を撃破すべく武器を調達、軍人あがりのならず者30人ほどを引き連れて、いよいよ計画を実行にうつします。
すでにこの時点で、極東白軍共和国の話はどっかに行っていたようです。
大正11年9月17日、大輝丸644トンは東京芝浦を出航しました。
船内には、
という豊富な食料(なんでこんなに酒ばっかりあんのよ)と、ピストル・日本刀・槍・木剣など武器を満載しています。
これに先駆け、隊長の江連は稚内から北樺太のアレクサンドロフスクに先乗りし、現地に駐留している派遣軍司令部の参謀と打ち合わせをしていました。
参謀は、かねてから江連に武器の貸し出しなど協力を約束していたのですが、外務省から大輝丸の出帆まかりならずとの電報がすでに届いており、時期も既に結氷期に入っていたため出帆を許可してくれません。
江連が困り果てているところに大輝丸が到着。やる気満々・眼ギラギラの隊員たちに今さら帰るとも言えず、せめて尼港まで行って引揚者たちの手助けをしよう、とニコライエフスクまで向かうのでした。
<長くなったので明日に続く>