日々記 観劇別館(はてなダイアリー版) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-09-04

はてなブログにお引っ越ししました

このほど、2019年春限りでの「はてなダイアリー」のサービス終了が発表されました。(2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い)。

最近のブログサービスに比べるとかなりクラシカルなブログインターフェイスを、他のブログサービスに移る理由も見当たらなかったため使い続けてきましたが、サービス終了ということなので諦めて、「はてなブログ」に移ることにいたしました。

新しいブログURLは、こちらになります。

https://hibiki-kangeki.hatenablog.jp/

これまではてなダイアリーブログをご愛顧いただいた皆様、新しいブログでも今後とも引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2018-08-26

『ゴースト(GHOST)』感想(2018.8.25 18:00開演)

キャスト:
サム=浦井健治 モリー=秋元才加 カール=平間壮一 オダ・メイ=森公美子

シアタークリエで『ゴースト』を観てまいりました。

元の映画『ゴースト ニューヨークの幻』が大変有名な作品であるにもかかわらず自分は観たことがなかったため、ストーリーを知らずに観劇しましたが、ラブコメとしてもホラーアクションとしても、そして人情話としても良くできていて面白く観ることができました。

観劇後に映画のネタバレあらすじをチェックしたところ、舞台と骨幹のストーリーは一緒ながら細部の展開にかなり異なる点もありましたので、きっと映画を観たことのある方も楽しめる舞台だと思います。

ただ、箱のキャパシティに対して音響効果が強すぎるのか、全体的に音が強すぎたり響きすぎたりして、かえって音楽や歌詞が聞き取りづらい印象を受けました。声量のあるキャストが多かったのも影響したのかも知れません。

以下、例により、まだ公演期間中なので核心に触れるネタバレは避けますが、主人公の重要な設定と、それから物語の結末にも若干言及しますので、未見の方はご注意ください。

まず『ゴースト』、様々なジャンルの要素はありますが基本はラブストーリーなので、メインのサムとモリーがかなりしょっちゅうハグやらキスやらでぎゅうぎゅう、チュッチュとやってます😊。

サムは彼女の前では肝心なことをなかなか口にしたがらない、やや古風でテレ屋で純粋な「男の子」な雰囲気で、銀行マンとして働く姿は真面目で熱心でキラキラしていて、でもごく普通の男性。浦井くんには合った役だと思います。ただ浦井くん、あれ?😅 こんなにスーツ似合わなかったっけ? と少し違和感を覚えてしまいました。『デスノート』で高校のブレザー制服を着ていた時はそんな風に思わなかったのですが。親友カール役の平間さんが割としっかりスーツ姿が決まっていたこともあり、意外な銀行マン・サムの印象でした。

とは言え浦井サム、演技と歌はもちろんバッチリで、シリアスもコメディも見事にこなし、モリクミさんがアドリブを仕掛けたと思われる場面でも、たまに耐えられず吹いたりはしていましたが基本はうまくいなしていて、いや、場数をこなして対応力が本当成長したなあ、と思いながら観ていました。……すみません、10年以上前の若手時代を知っているので、どうしても子供の成長過程を見守るような気持ちになってしまうのです。

秋元さんは初見でしたが声量もあり、悲劇に見舞われた中、懸命に自らを奮い立たせ、陶芸アーティストとして腕一本で健気に独りで生きていこうとする女性を好演していました。時々高音部で声が枯れたり詰まったりするのが気になりましたが、モリーは力強く歌い上げるナンバーが多いので、まあWキャストとは言ってもそろそろ疲れが出ているのかも知れないね、と考えながら聴いていました。

意外にも、と言っては失礼ですが良かったのはモリクミさん。

実は他の作品では悪目立ちしていると感じる時もありますが、今回の霊媒師オダ・メイははまり役だと思います。ケチな悪事を繰り返してきた似非霊媒師が突如として霊力に覚醒してしまった戸惑いと、そのために声はすれども姿は見えぬ、ゴーストと現世の人間とを媒介できる唯一の存在である彼女に逃げられぬよう必死のサムや、他のゴースト達にまで取り憑かれ振り回される恐怖、そしてセレブになれるかも? とぬか喜びする束の間の華やかな夢と妄想。どの姿のオダ・メイもオーバーアクションで大いに笑わせてちょっぴりしんみりさせてくれました。

サムとオダ・メイの、たまにどこまでがアドリブでどこまでが台本通りか分からなくなりそうな、ドタバタの掛け合いも楽しかったです。オダ・メイの耳元でノイジーな甲高い声で蚊の飛ぶ音やクレイジーな歌を囁き歌い続けるサムを演じる浦井くんがどこか楽しそうに見えたのは気のせいでしょうか。

この物語の、善玉は強い愛情とたゆまない努力とを重ねて奇跡を引き起こし、悪玉は同情の余地もなく徹底的に懲らしめられ滅びる、という展開は好き嫌いがあるかも知れません。

サム自身や病院のゴースト、はからずもサムの恩人(恩地縛霊?)となる地下鉄のゴーストのように理不尽に命を奪われ現世と冥界との間に留まる存在となったゴースト達と、私利私欲のために人の命を軽んじた結果地獄送りにされたゴースト達。どちらも市井に生きてきた普通の市民であり、紙一重な存在であるというのは何だか切なかったです。

しかし、そうは申しましても、クライマックスからエンディングに至る一連の幻想的な演出にはただ圧倒され目を奪われるばかりでした。

カップルの「再会」を彩る優しい青い光。一転して怒りで激しく燃え立つ青い炎と、悪党に襲いかかり容赦なく飲み込む闇の奔流。全てが終わった後にカップルと霊媒師を鮮やかながら再び優しく包み込む青い光が、ラストに向けて白い光に変わっていきます。

ラストの舞台装置を目にして、何故か井上芳雄くんと浦井くんが共演した『二都物語』を連想しました。『二都』では浦井くん演じるチャールズを守るために井上くん演じるシドニーが、星々の美しい光に照らされながら階段を昇りますが、今回は浦井くんが白く優しい光に包まれながら階段を昇っていきます。その時の浦井サムがまた、哀しくも愛に満たされた、何とも良い表情をしているのです! そして秋元モリーもまた同様。

最初に書いたとおり若干の音響の問題はありますが、真夏にふさわしい涙と笑いとスカッとするアクションたっぷりで、歌唱されるメロディも美しく、3時間近く、じっくり楽しめる舞台だと思います。

なお、最初のカーテンコールの後にもう一つお楽しみがあるので、これから観劇される方はカーテンコールが終わってもすぐに席を立たれないようお気をつけください。

2018-08-24

『モーツァルト!』御園座大千穐楽感想(2018.8.19 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト山崎育三郎 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト=市村正親 アマデ=大河原爽介

ありがたいことに、M!の大楽のチケットを友人に確保してもらえたので、脚を引きずりながら新幹線で名古屋御園座まで行ってきました。

御園座は赤と金に彩られ、正にM!のためにあるような劇場だね! コインロッカーはちょい少なめで、若干段差も多めだけど、お土産コーナーが充実していて退屈しない劇場だね! などと考えながら、いざ開演。

熱い舞台でした。特に2幕が。

とにかくコロレド猊下の「神よ何故」での感情の弾け方が、尋常ではなく熱かったです。

憎むべきヴォルフが創る音楽への執着の強さ故にレオポルトにぶつけられる、絶望と怒りに満ちた眼差しと絞り出される言葉。

「(神に愛された音楽を)傲慢うぬぼれ、愚かな男が創り出す!」

と絶叫した刹那にもたらされる、長い長い沈黙から、音楽の魔術に敬服する美しいファルセットへ。そしてショーストップ。

その猊下の熱さで化学反応が起きたのか、御前演奏会でのレオポルトも、本音では多分誰よりも息子の栄誉を称えてやりたいのに、どうしても自分を裏切った息子を許すことができないジレンマに満ちた、凄まじい父親の情念が爆発していました。

更にそれに触発されたのか、望む愛を得られないと半泣きで絶叫するヴォルフも、強烈なインパクトを放っていました。

そして、偶然を装い帰り道でまちぶせしてヴォルフを捕まえ*1、お前の行く先には破滅が待つだけ、と説得する猊下には、帝劇で観た時と同様、やはりレオポルトとはまた異なる、力強い父性を感じました。ヴォルフと猊下。永遠に相入れることのない2人。決して報われることのない父性。

キャストの皆様、大千穐楽だから熱すぎたというわけでもなく、崩しすぎることもせず、皆様好演されていたと思います。

ただ、大楽ならでは、かどうかは不明ながら、お遊び要素は結構ありました。

猊下は馬車の上でよろけて思い切り、壁ドンか?という勢いでアルコ伯爵に寄りかかってましたし、レオポルトパパに心なしかいつもより強烈なデコピンをお見舞いされた育三郎ヴォルフは、本気で痛そうでした。

あと、今思い出しましたが、育三郎ヴォルフが1幕のプラター公園のコンスと2人きりになってからの対話場面で、延々と逆立ちを繰り返しながら喋っていて、コンスに「まだやる? おおーっ!」と驚かれていました。

ほかのキャストについても少し触れておきます。

涼風男爵夫人は何だか凛々しさが増していたように見えました。ヴォルフを慈母のように優しく包み込んだり背中を押したりするというよりは、社交界を強かに泳ぎ回るキャリア女性としてぐいぐい引っ張っていたように思います。精神的に大人な育三郎ヴォルフには、このくらい強い男爵夫人の方が合っているかも知れません。

あまり引っ込み思案には見えない平野コンスは、今回も愛に飢えてもがき苦しんでいました。「ダンスはやめられない」で過剰な程に息苦しそうなのです。

今期、帝劇でのチケット運が悪く、結局平野さん以外のコンスタンツェも、香寿たつきさんの男爵夫人も観られなかったのがとても残念です。

遠山シカネーダーは、6月に帝劇で観た時にはどうしても吉野さんの面影を追ってしまい辛かったのですが、そういえば今回はそのように感じることはだいぶ少なかったなあ、と思い起こしています。

久々に観て思ったのは、彼はかなり「ぶれない人」なのだということ。前述のとおり舞台の上で思いがけない化学反応と言うか奇跡が起きる瞬間に立ち会えると、観客としては「ありがたや」な気持ちになるのですが、そういう瞬間が「ありがたや」になるのは秒刻みで進行する舞台を、高い技量で自らに課された役割をしっかり果たして安定的に支える人がいてこそであり、彼は正にそういう役割を果たそうとしている人なのだ、と今回感じた次第です*2。願わくば、このM!という作品において、もっと、例えば阿知波さんのセシリアママのように、そこにいるだけで自然に舞台の質を保証してくれるような頼もしい存在になって欲しいなあ、と思います。

……まだまだ書き足りませんが、この辺にしてカーテンコールの思い出に移ります。

楽のご挨拶は山口さんと市村さんからありました。何故この2人?

山口さんは、レオポルトの愛の込められたデコピンに言及し、ヴォルフとの父子の仲をいつも羨ましく眺めていました、と語られていました。

市村さんは、旧御園座の時代、46年前(数字はうろ覚え)に萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんの兄弟公演の舞台に立った思い出を語り、また、今度は願わくば「市村座」でここに帰ってきたい、ということを仰っていました。

なお、御園座には図書室が併設されているのですが、どうもここに公演期間、市村さん、山口さんらM!キャストのサイン色紙が展示されていたらしいと後から聞きました。図書室は気になるけどどうせ日曜休館だし、と立ち寄らなかったことが悔やまれます。

最後にエプロンステージを全キャストがウォーキングしてお別れのご挨拶をされていました。今回は2階席でしたが、「もちろん」山口さんのお手振りと目線ビームはしっかりと2階まで届いておりました!

そして、最後の最後、幕が完全に降りた後にヴォルフとアマデからもご挨拶がありましたが、不覚にも当日のアマデちゃんのお名前をチェックできておりませんでした。多分爽介くんか美空ちゃんだったと思うのですが……。教えていただけるとありがたいです。
(2018.8.24 23:53追記)大楽のアマデは爽介くんです、とTwitterフォロワー様に教えていただきました。ありがとうございました!

ああ、これで今季のM!は終わってしまった。次回再び現キャストで猊下とレオポルトには出逢えるだろうか、とちょっとしんみりしております。待つ再演!

*1:すみません、妄想です!

*2:スター役者の皆様が高い技量で舞台を支えていない、という意味ではなく、果たす役割が異なっている、という意味です。

2018-06-04

『モーツァルト!』感想(2018.6.2 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト古川雄大 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト=市村正親 アマデ=小河原美空

これで帝劇見納めになりそうな『M!』の古川ヴォルフver.を観てまいりました。

ヴォルフとアマデ以外は初日と同キャストです。今回ついに香寿男爵夫人と新コンスのお2人を観ないまま終わりそうな気配が濃厚です。

古川ヴォルフは事前に予想していた以上に歌では善戦していると思いました。とは言え、まだ歌って表現することだけで手一杯で、歌っている間は歌にのみ精神が集中してしまっているという印象です。あと、1幕終盤や2幕クライマックスのキャスト全員のコーラスが入る場面では、ヴォルフの声があまり聴こえてこなかったりもします。

ただ、そのこなれていない、舞台の上でヴォルフとして生き切る為に必死で戦い続けている姿が、古川ヴォルフの子供っぽく純粋で未熟で刹那的な天才の役作りをかえって盛り立てているようにも見えました。アマデ(美空(あおい)ちゃん可愛い!)が才気溢れる子供の冷徹さの権化だとすれば、ヴォルフは子供の脆さと危うさの権化。ヴォルフもアマデもどちらも子供(^_^;)。

育三郎ヴォルフの場合は、逆に中の人が万事そつなくこなす大人な性格である印象がありますが、その分、成熟してはいるが自制心のなさと繊細さ、そして自身に真っ正直すぎるがゆえに思い描いた通りに生きられず、苦しみ続ける人物像を産み出すのに成功していたと思います。

個人的にはどちらかと言えば、古川ヴォルフの傷つきぶつかりながら懸命に一度きりの人生を生き切る人物像が好みではありますが、育三郎ヴォルフから感じられる、天才と言えども(天才であるが故に)逃れることのできない人生の苦味もまた捨てがたいです。

そしてコロレド猊下の一挙一動をつい追いかけてしまう立場としては、2人の対照的なヴォルフに向き合う時の猊下の色の違いがまた楽しかったりするのです。

例えば1幕終盤のヴォルフの猊下の館への乱入場面で、怒りに叫び暴れる古川ヴォルフに激昂しつつも、猊下、どこかはらはらとした表情で見守っているように見えました。育三郎ヴォルフに対してはあまりはらはらはしていなかったと思います。

ところで猊下大司教という位の高い権力者なので、大体いつも舞台上で庶民のヴォルフより高い位置に立って会話しています(ヴォルフの夢や幻想場面は除く)。アルコ伯爵男爵夫人(特に男爵夫人)は普通に降りてきて同じ目線の高さで話しているのに対し、猊下は向こうから話しかけられない限り口を利いてもいけない相手。以前の演出では1幕のおトイレ場面と2幕のレオポルト召喚場面では庶民と同じ高さにいた筈なのに、今回はおトイレはカット、召喚場面でも階段の上から話しかけています。ヴォルフはそんなものクソ喰らえ! 音楽家は貴族と同等だ! と初めから意識的にタメ口叩いて喧嘩腰を貫き通すわけです。

その猊下が2幕の「破滅への道」で、かなり不自然なシチュエーションとは言えヴォルフと同じ目線の高さで対話している! と、最初に見た時にはかなり衝撃でした。

以下はただの妄想なので読み流していただいても結構です。

いくらヴォルフが自分は貴族と対等だと主張してみても、猊下の方はヴォルフと対等だなんて一度も考えたことなどないのですが、ヴォルフが理不尽にも神様から素晴らしい才能を与えられた特別な存在であることは悔しくても認めざるを得ません。そして同時にその才能の赴くがままに走り続けたなら、そう遠くない日に宿主が破綻することにも気づいてしまっています。その危うさには多分、レオポルトやナンネールは関係が近すぎるが故に、愛憎関係が濃すぎるがために気づいていないのだと思います。男爵夫人はもしかしたら薄々感づいているのかも知れませんが、それ以上に善意と「自分が彼の才能を支援し引き上げたのだ」という自負の方が強いと思われます。

でも猊下、このままではヴォルフのきらめく宝石が危ない、護らねば! と気づき、せっかく彼のもとまで降りて説得したのに、大衆に喜ばれる芸術の値打ち評価しないばかりか、「自分の掌中の珠にして独り占めする」以外にアプローチの仕方、そして護り方をご存じないので結局振られてしまうのですね。

以前の演出では考えたこともなかったのですが、そのようなやり方でしか憎みつつ愛する者に接することのできない猊下から、レオポルトとはまた異なる「父親の哀しみ」のようなものが感じ取れて、猊下に憐れみの念を禁じ得ませんでした。古川ヴォルフの場合は特に危うさ加減が強いキャラクターなので余計にそう感じたのかも知れません。

……何だか今回、ミュージカルの感想なのに猊下とヴォルフの感想ばかりで申し訳ありません。

今回、涼風男爵夫人の高音の伸びの半端なさや、2幕序盤の「ここはウィーン」での全身が白くきらびやかに輝く美しさに圧倒されもしていました。

また、最初から最後までどこか疎外感から解放されないしんどさを全身から滲み出させる平野コンスの存在感、そして歌唱力の向上にも密かに感服したりもしていました。

なのにどうしても、
「神何故の猊下の歌い方、初日から変えているし、『おんがーくーのーまーじゅーつー』の声の出し方、何だか進化していませんか?」
と、一周回ってまた猊下に心が行き着いてしまうのは困ったものです。

そんな邪な見方しかできていない自分ですが、多分これで帝劇では『M!』は見納め。新しいコンス達も観たかったし、香寿男爵夫人も憲史郎くんアマデも観たかったよ……と、とても残念に思います。

2018-05-28

『モーツァルト!』帝劇初日感想(2018.5.26 17:45開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト山崎育三郎 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト=市村正親 アマデ=大河原爽介

井上芳雄くんがヴォルフ役を卒業してから初めての、新演出版と銘打っての『モーツァルト!』2018年公演の帝劇初日を観てきました。

「新曲あり」「一部場面のカットあり」以外の事前情報はあえて仕入れずに参戦。以下、変更点を中心にレポートします。例によりネタバレありですのでご注意ください。

メインのステージセットはピアノを模したものに変わっていました。『エリザベート』や『レディ・ベス』と同様に階段がたくさんあって高低差が激しく、客席に向けて真っ正面ではなく、盆回りで止まる時ちょっと角度をつけて奥行きを深く見せる感じのセットです。加えて背景などの映像をプロジェクター投影して見せる場面も増えていました。

人物動線やアクションもこまごまと変わっています。大階段や銀橋を活用した演出が大幅に増えた印象です。

例えばコロレド猊下は、元々高所からばばーん!とヴォルフ達庶民を見下ろしながら登場することが多かったので動線の変化は少ない方ですが、それでも馬車のシーンで以前より高い位置で揺られていたり、「神よ、何故許される」の立ち位置がこれまでのセンターから上手の階段の途中に変更されたりしていました。

また、コンスタンツェのソロ「ダンスはやめられない」ではコンスがステージセットを上下に忙しく移動しながら歌っていて、「大変だなあ」と思いながら聴いていました。

懸案の、新曲が増えたことでカットされた場面は、覚悟していたためか意外と多くはありませんでした。例えば市場でナンネールがアルコ伯爵にいじめられた後に市場のおばちゃん達がフォローする場面。猊下の馬車移動時のおトイレ場面。これらがカットされたために、ナンネールは市場でしょんぼりなままですし、馬車は馬に水を補給しても猊下はトイレには行けません。いや、別に猊下はトイレを我慢しているわけではないのでいいんですが。

もう少し細かい所では、プラター公園の場面の「並の男じゃない」のアレンジが少し変わり、時間も少し短くなっていたようです。ほかにも細部が変わっている可能性がありますが、DVDを復習しないと良く分かりません。

なお、内心「ここは削られるかも?」と覚悟していた猊下の「お取り込み中」シーンは残っていました。ただ、以前あった、壁の向こうの出来事をシルエットで匂わす演出が好きでしたので、それがないのは少し残念です*1

メインキャストにも変更がありました。ドクトル・メスマーとシカネーダー。

この演目におけるメスマー存在感なんて考えたこともなかったのですが、今回、プロローグの墓場から天才アマデの登場に一気になだれこむ時の戸井メスマーのコールの声が実に滑舌良く力強く響いておりまして。実は観客を物語世界に引き込む鬨の声を担う重要な存在だったのだと初めて認識しました。

逆にシカネーダー。ルックスも良く、歌も歌えてダンスも綺麗です。なのに、何かが足りない、と感じました。

シカネーダーの居酒屋でのソロ場面はヴォルフに
「芸術は特権階級が独占するものではなく、大衆のものであり観客のものである」
という思想を身をもって知らしめ、以後のヴォルフの芸術家としての生き方を決定づける極めて大事な場面です。なので、この場面におけるシカネーダーには、彼自身が最高のエンターテイナーであり、ショーを自在に操り盛り上げ、観客の熱狂を呼ぶ存在であってほしいとこれまでは当たり前のように期待してきたのですが……。どうもそのような観客の身勝手な期待に応えるのは2代目シカネーダーには早すぎたようです。いずれ時間の流れと新キャストの成長が解決してくれることを期待しています。

また、キャストの衣装も新調され、一部は細かいデザインが変更になっています。例えば猊下の2幕の黒い衣装の上着は、左右の身頃がアシンメトリーなデザインに変更されていました。左身頃に細かいプリーツが寄っていて、大きな十字架の意匠が施されているなかなかオシャレなデザインです。

大人ヴォルフの登場時の赤いコートや、猊下の赤いコートとマントは変わらず健在です。今回のパンフレットに載っている小池先生のメッセージによれば「赤いコート」はご自身の演出上どうしても外せないポイントのようです。おかげでこちらとしては猊下の初登場シーンの見事なマント捌きを引き続き堪能できてありがたい限りであります。

そして今回の新演出の最大の目玉である新曲「破滅への道」については、2幕の後半で披露されました。

歌詞の細かい内容については省きますが、猊下のヴォルフへの飽くなき執着と、誰かに支配される人生へのヴォルフの最終的な訣別を描いたデュエットナンバーです。これまで蓄積されてきたコロレド大司教人物像に微少な変化をもたらす1曲でもあります。

猊下とヴォルフはそれぞれが水と油のような存在で、決して歩み寄って相互に理解しあうことこそありません。しかし猊下は、ヴォルフという理不尽な天才の存在に激しく葛藤しつつ執着し愛しているがゆえに、ヴォルフの進む道の先に待ち受けるものを見通すことができてしまっています。恐らくはヴォルフの父レオポルトが血の繋がりに邪魔されて見ることができなかったものまでも。

これは自分の勝手な思いに過ぎませんが、今回の新曲を聴き、
「もしヴォルフの父親がレオポルトではなく猊下であったなら、ヴォルフにはまた違う運命があったのではないか?」
と埒もないことを考えてしまいました。猊下にはヴォルフの望むクリエイターとしての生き方は永久に理解できないとしても、少なくとも天才が背負った宿命の重さとそれがもたらす苦しみはそのまま受け入れて愛することができたのではないか、と。エピローグで合唱する時の猊下のお顔が殊の外寂しそうに見えたのは決して気のせいだけではない筈です。

まだまだ書きたいことはたくさんありますがそろそろまとめに入りますと、以上のように変更点への戸惑いや驚きはありましたが、初日(カテコでの小池先生のご挨拶によれば通算507回目の公演だったようです)のキャストはびっくりするほどレベルが高く申し分のない舞台を見せてくれていたと思います。

今回の公演は何故だか全然チケットが取れなくて、帝劇公演の手持ちの残りチケットは6月2日マチネのみ、後は名古屋大楽までお預けになる可能性が大、という状況です。何とかそれまでに香寿たつきさんの男爵夫人を見ておきたいのですが……。

おまけ。小池先生のカテコご挨拶によれば507回通し出演者は市村さん、山口さん、阿知波さんのお三方だそうです。市村さんはミュージカル界の人間国宝、山口さんはキング、ということでした。個人的には阿知波さんには「ビッグマム」などの称号を授与したいと勝手に思っております。

*1:シルエットが削られたのは、「星から降る金」の前のヴォルフの色事も同様ですね。