日々記 観劇別館 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-04-15

『髑髏城の七人 極 修羅天魔』感想(2018.4.8 14:00開演)

キャスト:極楽太夫(雑賀のお蘭)=天海祐希 兵庫=福士誠治 夢三郎=竜星涼 沙霧=清水くるみ カンテツ=三宅弘城 狸穴二郎衛門=山本亨 ぜん三=梶原善 天魔王/織田信長=古田新太

友人からの誘いを受けて、IHIステージアラウンド東京にて、『髑髏城の七人 極(ごく) 修羅天魔』を観てまいりました。

最寄りの豊洲新市場も未だ完全オープンに至らず、とにかく何もない場所、と聞いていたので、月島駅のおむすび屋さんで軽く腹ごしらえしてから劇場入りしました*1

この劇場も初めてですが、実は髑髏城シリーズ自体初見なのです。

なので『修羅天魔』には他の髑髏城シリーズに登場するメインキャラクターが登場しなかったり、同じ名前でも人物設定が異なっているキャラクターが存在したりする、と聞いてはいても、元々の髑髏城シリーズの骨格ストーリーを知らず、「比べる楽しみ」という点では少し損をしているかも知れません。

もっとも『修羅天魔』もひとつの独立した演目として作られているので、バリエーションを知らなくても存分に面白く堪能することができました。

新感線の演目の含有要素として、ミュージカル、音楽劇、ストプレ、新喜劇、歌舞伎、そして剣劇などがあります。それらの多要素がぜいたくに盛り込まれたお芝居を、プロジェクションマッピングや回転客席でショーアップして見せてくれます。劇団☆新感線をあえてカテゴリ分けするならジャンルは? と今回少し考え込みましたが、やはり「新感線」というジャンルの演劇、あるいは「いのうえ歌舞伎」という歌舞伎であるとしか考えられません。

訳が分からないことを書いてしまいましたが、とにかく様々な要素の詰め合わせで、各要素の完成度が高く洗練されていて、しかも楽しいのです。

例えば敵役である髑髏党の幹部のひとり、宮毘羅の猛突(くびらのもうとつ)にハラシンさんこと原慎一郎さんがキャスティングされていて、何故? と思っていましたが、1幕中盤で納得しました。猛突、もうひとりの幹部で右近健一さん演じる迷企羅の妙声(めきらのみょうせい)と部下とともに歌う歌う。「普通の芝居の中で突然ミュージカルが始まる」というシチュエーション自体は笑いのネタとして良くありますが、ネタ場面でありまがらミュージカルとしての完成度が本気なのが新感線の恐ろしい所だと思います。

今回の『修羅天魔』は上演時間が3時間45分(うち休憩20分)という長丁場でしたが、観ていて全く時間の長さを感じない演目でした。

開演すると観客はデーモン閣下のロックな歌声に乗せられながら、360°回転する客席をぐるりと取り囲む関東荒野、弱者やマイノリティがありのまま弱みをさらけ出して生きていける無界の里、鉄砲鍛冶の工房、そして敵の本拠地髑髏城といった戦国ケレン味たっぷりの世界に取り込まれます。

回転客席と360°円周舞台の感想としては、「これ、大道具出しっ放しでいいんだ、凄い!」とまず思いました。また、「走馬灯のように過去を回想する」や「複数の場面を短時間で切り替える」といった映像的な演出をまさか舞台で見られるとは思いませんでした。たまに、客席が回っているのか、それとも幕に映る映像が回転しているのかが判然としない時はありましたが。この劇場、新感線以外の演目でも使いこなせるんだろうか? と少し心配ではあります。

物語の核になるのは謎に満ちた天魔王とクールビューティーなスナイパーお蘭との情の駆け引きですが、彼らの関係はかなりミステリアスに描かれていました。天魔王と家康、どちらの言葉が正しいのかによってお蘭と天魔王の関係性が全く変わってきて、しかしどちらに転んでも2人の戦いは避けられない運命として糸に手繰り寄せられ、最後の最後に直接対決でようやく真実が明らかに……! というクライマックスまで引っ張る展開はさすがです。

天魔王の自滅のきっかけとなった最後の行動については、正解ではないことを覚悟の上で示した天魔王自身の真情だったのか、あるいは本当に勘違いだったのかはよく分かりません。ただ少なくとも私は、前者であったと信じています。だからこそお蘭もああいう形できっぱりと決着をつけざるを得なかったのだろうと思うのです。

骨子のストーリーはシリアスで血生臭く悲哀溢れるこの演目の中で一服の清涼剤となっていたのが、沙霧とカンテツでした。

髑髏城潜入の鍵を握る、賢く純粋で可愛らしくて度胸もある沙霧は、舞台に現れるだけでその場を明るくしていました。カンテツが戦場の臭いとは違う沙霧の匂いをたどって注文品を届けるというエピソード象徴されるように、裏の世界に生きてきた他の登場人物とは全く異なる空気をまとった少女。清水くるみさん、はまり役だと思います。

そしてカンテツ。何と言ってもカンテツ。コメディーリリーフにして実は最大の危険人物のような気がします。最初出てきた時素で三宅さんとは気づきませんでした。ブラックな笑いをさらいつつ、与太郎的ボケで憎まれず、ここ一番では恐るべき実力(若干の怪我の功名もありますが)を発揮するという複雑なキャラクター。登場するたびに客席の爆笑を誘っていました。これもまた、三宅さんのはまり役であり当たり役の一つだと思います*2

他の登場人物も魅力的でした。

とりわけ、夢三郎の悪の華、それから意外にもマトリックスな大暴れを見せるぜん三に目が行きました。兵庫の純朴さ、二郎衛門の腹の中の見えなさ加減、あと二郎衛門の御庭番である清十郎の渋さとキレの良さ(川原正嗣さん好演!)も印象に残っています。

竜星涼さんの、愛に飢え父親を追い求め、父親のためなら手を血に汚すことも全く厭わない夢三郎は美しかったです。あと10年早ければ吉野圭吾さん辺りもイメージぴったりだったかも? と思いながら観ていました。

兵庫と夢三郎の関係はもっと掘り下げられていても良かったように思います。夢三郎は太夫に身をやつしている時から既に、徹頭徹尾自分自身(そして父親)のことしか見えていないのですが、兵庫からは無界の里の象徴のように扱われ憧れられていたわけで。その関係性が強ければ強いほど、裏切られ同胞を失った悲しみもまた深くなるのではないでしょうか。

久々の新感線演目、とても楽しかったです。

豊洲は自宅からは電車の乗り換えが多く、決して近いとは言えませんが、駅にも劇場にもバリアフリーな設備や配慮があるので、安心して出かけることができました。

今年は引き続き新感線がキャストを変えながら『メタルマクベス』のロングラン公演を行うそうです。秋頃に浦井健治くんが出演するとのことなので、願わくば観に行きたいところではありますが、さて、チケット取れるかなあ。

*1:豊洲駅周辺まで行けばもちろんたくさんお店がありますが、足の関係でなるべく歩きたくなかったので……。

*2:他の『髑髏城』でも同じ役を演じられていたようです。

2018-04-01

宝塚歌劇 花組東京宝塚劇場公演『ポーの一族』千秋楽 ライブ中継感想(2018.3.25 15:30上映)

キャスト:エドガー・ポーツネル=明日海りお シーラ・ポーツネル男爵夫人=仙名彩世 アラン・トワイライト=柚香光 大老ポー=一樹千尋 カスター先生=飛鳥裕 老ハンナ高翔みず希 レイチェル=花野じゅりあ フランク・ポーツネル男爵=瀬戸かずや ジャン・クリフォード=鳳月杏 バイク・ブラウン/バイク・ブラウン4世=水美舞斗 メリーベル=華優希

ぜひ一度観たいと願いながらもことごとくチケット抽選に外れ、観劇が叶わずにいた花組ポーの一族』。何とか流山おおたかの森のTOHOシネマでのライブ・ビューイング(LV)に滑り込むことができたので、観に行ってまいりました。ちなみに人生初のLVです。

脚本・演出小池先生。あまりにも名作過ぎる原作を、いじり壊したり、逆にアレンジを恐れて半端になっていたりはしないだろうか? とどきどきしながら上映(上演)に臨みました。

おお、LVって意外に映像が綺麗! というのが第一印象でした。無論生舞台の迫力や質感には及ばないまでも、オペラグラスを使わずに生徒さん方の表情を追えるのはありがたいです。

物語は原作の主に「メリーベルと銀のばら」及び「ポーの一族」の2編に準拠しつつ、他の編の要素も取り込み、舞台という表現形態や宝塚の約束事*1に合わせて、後半の主な舞台を人の行き来が多いホテルに変更するなど大胆にアレンジしている部分も多く、それでいて原作のイメージを壊さない、割合にバランスが取れた仕上がりであったと思います。

ポーツネル男爵の「エドガー、ガラスに映っていない!」やメリーベルの「時をこえて遠くへ行く?」、エドガーの「きみもおいでよ、ひとりではさみしすぎる」などの名台詞、名場面の数々もいい感じに散りばめられていました。

そしてなんと言っても、「青い、青い目」を持ち妖しい美しさを放つみりおさんエドガーを筆頭に、バンパネラ達(ポーの一族)の華麗なことと言ったら! あの麗しさ加減は宝塚ならであると思いました。華優希さんのメリーベルも実に可愛らしいです。

柚香光さんのアランは声が低く、原作を読んだ個人的イメージとしてはアランの声はもう少し高めなので、若干違和感がありましたが、眼差しに独特の猫系の色気が漂っていて、しばしばロックオンされておりました。

舞台化に当たってのストーリーのアレンジについては、前述のとおりイメージを損ねないよう配慮はされていますが、かなり大胆な変更もなされていました。

例えばエドガーがシーラと最初に出会った年齢が、原作では幼年期(20歳のシーラより10歳以上下)、舞台では一族に加わる直前(14歳ぐらい)と大きく異なっており、エドガーがシーラに対し、初恋未満の淡い慕情を抱く展開になっています。そのためか、ポーツネル男爵エドガーへの感情に、正統な血筋を持つが生意気な義理の子を持て余す気持ちに加え、どこかシーラを巡るライバル意識のような心情も加わっているように見えて面白かったです。

とは言え、シーラの婚礼とメリーベルを守るための離別、そしてエドガー一族に加えられ、ポーの村を去るまでの、原作の「メリーベルと銀のばら」では少なくとも5年以上にまたがっているエピソードがわずか数日間、下手したら2日間程度の出来事になっているのは、さすがに無理があるんじゃないかと突っ込みたいです。

なお、この時間経過の変更により、エドガーと離別した時のメリーベルもそれなりの年齢(11〜12歳ぐらい)になっているので、メリーベルがお空に放り投げられそうになることもありません。

ついでに「メリーベルと銀のばら」の後半のエヴァンズ家のオズワルドとユーシス兄弟のエピソードがかなり説明的に1場のみで片付けられたのもなかなか衝撃でした。あのエピソードはメリーベルの関係でスルーできない一方、クローズアップした場合ほぼ兄弟が主役になってしまうので、それを回避したかったのだろうとは思いますが、ちょっと駆け足すぎのように感じられました。

多分、この大胆なアレンジを許せない原作ファンも多いと思われますし、確かにこれはどうなのよ? と感じられる所もありましたが、まあ、舞台としての表現に作り替えるとこうなるんだろうな、と自分としては割と納得しています。

なお「大老ポー、消滅した!」「大老ポー、降霊術で召還された! バンパネラの魂は普通の人間とは違う場所に行く筈では? 何故?」というツッコミ所もありましたが、あれは自分的には、

大老ポー。あの爺さんレベルの妖魔なら『消滅したふり』とか『降霊されたふりして現れて、言いたいことだけ言って去る』とか難なくできるだろう」

という落とし所で一応納得しています。

歌部分の歌詞も「僕はバンパネラ」と歌うエドガーのソロなどは割とベタな感じでしたが、他は原作の台詞や世界観がうまく生かされていたという印象でした。

……これ以上書いていると延々とツッコミと妥協や納得を続けてしまうので止めますが、

「いやー、2.5次元舞台、しかも原作が古典的名作のものって、媒体変換の妙味が面白いけど、作る側も演じる側も、そして観る側も本当難しいね!」

というのが総括的な感想です。

でもこれは宝塚。どんな舞台であっても、最後にカップルがゴンドラ宙乗りして、三番手、二番手、そしてトップスターが華麗に舞い踊り、歌えば夢の世界は美しく締めくくられるのでした。

そして今回は千秋楽花組の組長さんが4名の退団者(専科の飛鳥裕さん、花組の生徒さん3名)からの宝塚愛たっぷりのメッセージを読み上げ、最後にご本人方から生ご挨拶がありました。宝塚に詳しくない自分も思わずほろり。

LVから一週間。やはり生の舞台で観たかった、という思いは無論ありますが、諸事情で現地に行けなかったファンのためにこうして高品質の映像と音で、比較的家に近い場所で見せてもらえるのはやはりありがたいです。

特に現在、体調が不安定かつ思わしくない日が続いている立場になると、こういうイベントは本当に嬉しいので、ぜひ宝塚新感線だけでなく、いずれ東宝ミュージカルも、とつい欲張りな願望を抱いております。東宝さん、ぜひ!(と、今度アンケートに書いてこよう)。

*1:生徒さん全員を出すために原作にはない登場人物がぞろぞろいる、男役スターにそれぞれ見せ場を設ける、など。

2018-03-12

『マディソン郡の橋』感想(2018.3.11マチネ)

キャスト:ロバート=山口祐一郎 フランチェスカ涼風真世 マリアン=彩乃かなみ マイケル=石川新太 キャロライン=島田彩 チャーリー=戸井勝海 マージ=伊東弘美 バド=石川禅 others=加賀谷一肇

都合3.75回目*1の『マディソン郡の橋』を観てまいりました。今のところ、今回がマイ楽になる予定です。

以下、ネタバレありの感想です。しかも、ほぼ主役カップルのことしか書いておりません。

東京公演も後半戦になりましたのでいい加減しつこいかも知れませんが、これから『橋』を観劇予定の方はご覧になってからお読みいただくことをお薦めします。

今回の座席は3列目下手ブロックという、あまりにもステージに近すぎる場所でした。そのせいで逆に度胸が座ってしまったのか、それともお友達と楽しく美味しいごはんをいただいてリラックスした上に腰痛の痛み止めが効きすぎたのか、妙に落ち着いてフラットな心持ちでキャスト9名の美しいハーモニーを、随所で物語に緩急をもたらす加賀谷さんのダンスを、そして運命の2人の愛の顛末と彩り豊かな歌声を、ひたすらに全身で受け止めるような観劇になりました。

1幕ラストで山口ロバートの手を取って階上の寝室に誘う瞬間、涼風フランチェスカの決意の眼差しに背筋がぞくっとしました。あれは、出会うべくして出会った宿命の恋人、ロバートに対する激しい思いから一歩も引かず、自分の心に従い、2人でどこまでも行こうという覚悟の眼差しであると解釈しています。

更に、2幕のフランチェスカがロバートの両肩に手を置き、ロバートがその手を長い手指で(文字通り繊細な指と手つきで!)そっと取って語り合う場面。互いにたくさん愛し愛されて、身体の奥底から満たされた思いを味わっている様子が伝わってきました。そしてメロディーにハーモニーにと入れ替わりながら強く共鳴し合う男女の歌声。充ち満ちる幸福感。

なのに。その相手が「聞いてほしい、フランチェスカ。行こう、一緒に!」と渾身の(歌い方もまさに渾身の熱情を込めて!)呼びかけをしてくれているのに。「あり得ない!」と、フランチェスカは口にしてしまうのです。かけがえのない家族と会うこともなくここを立ち去るなんて! と。

大昔、奇しくも山口さんが過去の恋愛に関するインタビューで「男はロマンチストで女は現実的」と語っていたことがあったけど、まさにその通りだね、と思いながら、2人の最後の夜の帳が下りていく舞台をじっと見つめておりました。

なお、頭のほんの片隅ではありますが、『エリザベート』で夫の皇帝に死を覚悟の最後通告を突きつけた涼風シシィを「エリザベート、行こうよ、2人で」と黄泉へと誘惑して「いやよ、逃げないわ!」と拒否される山口トートもちらりと連想してしまいました。当然シシィは間違っても「家族が大事」と言うとは思えませんが(^_^;)。

原作小説のフランチェスカには「2人なら一瞬で」どこまでも行ける筈のロバートと共に行かない理由として、ロバートを見送る時点で既に、家族に対する責任を放棄したくないから、というきっぱりとした答えがあって、リアリストな傾向がより強いと感じました。

しかしミュージカル版ではフランチェスカ、その辺りの心情に若干の迷いがあるようで、夫と息子マイケルの諍いを収めようとすることにより明確に「家族」であり「母」であることを選び取る一方で、夫にハグされた時に露骨に避けたり、街でロバートとすれ違った瞬間になお彼の胸に飛び込む自分を想像してしまったりと、激しく逡巡し揺れ動きます。この違いは脚本家が、逡巡した方が絵面としての見所やドラマとしての盛り上がりがあるためにそうしたのか、それとも小説のようにあの状況で毅然とする女性は受け入れられづらいと気後れしたのか、あるいはその両方なのかは良く分かりませんが、もう少し毅然としたフランチェスカでも良いのにね、と考えてしまう場面です。

その後のフランチェスカは心にロバートとの素敵な思い出を棲まわせ続けながらも、娘は近くに嫁ぎ、息子は反抗期のサポートの甲斐あってエリート医師に、ついでに夫は濡れ落ち葉にもならず最期まで家族思いのまま先立ってくれて、と割と普通に幸福になるわけですが。

今回、白髪になって死を前にしても静かに待ち続けたロバートが「色あせても浮かび上がるのはあの日のあなた」と歌うのを聴きながら、これほどに残酷な幸福はない、と思ってしまいました。

決して本人は後悔もせず、むしろ自分と来るより家族を選ぶ彼女だからこそ好きになったのであり、しかも孤独な暮らしの中で生涯運命の相手を待ち続け、愛を捧げ続けることができたことの幸福を自覚しており、自身を不幸だとは露ほども考えていないのですが、であるからこそフランチェスカの幸福と比べた時にロバートの幸福に痛ましさを覚えてしまいました。

ただ、波風なく穏やかに妻と相思相愛であったチャーリーや、知らぬが仏とは言え無骨な愛情で妻と子を包み続けたバドと同様、ロバートの送った生涯もまた一つの幸せの形であり、愛情の形であることには違いありません。

愛って何ですかねえ? とベタすぎることを考えながら、これで見納めなんて……と消え入りそうな気持ちで劇場を後にしつつ、隣の建物でしっかりお買い物をして『橋』仕様チケットケースを入手してから帰宅いたしました。しかしゲットしたは良いですが、なかなか使いどころに困るケースではあります(^_^)。

*1:1回分は4分の1遅参しましたので……。

2018-03-04

『マディソン郡の橋』感想(2018.3.4マチネ)

キャスト:ロバート=山口祐一郎 フランチェスカ涼風真世 マリアン=彩乃かなみ マイケル=石川新太 キャロライン=島田彩 チャーリー=戸井勝海 マージ=伊東弘美 バド=石川禅 others=加賀谷一肇

プレビューを含めて3回目の『橋』観劇でした。

この演目は、マリアンのソロ、あるジャズシンガー(伊東さん)のソロ(ラジオから流れる音楽の設定)、2幕冒頭の共進会のお祭り騒ぎ、バドが妻との出会いを「俺にしてみりゃお姫さま(だった)」と回想するソロ、そしてチャーリーとバドのデュエットなど、主演2人以外にも心にしみるアメリカンな雰囲気たっぷりのナンバーがいくつもあります。

特に戸井さんと禅さんのデュエットは死にゆく者、そして亡くなり墓地に葬られた後も生者を見守り続ける者の視点に立った曲ですが、『橋』の原作に準拠すると確か、フランチェスカはバドと同じ場所には葬られない筈なので、そのことを思いながら聴くと少しさみしい気持ちになりました。

『橋』の歌唱については影コーラスも含めて全9名のキャストのみで回しているとのことですが、全く薄い印象は抱かず、むしろ重厚感さえ覚えるのは不思議です。

また、主役2人の歌唱についても、各種インタビューでご本人方が語られているとおり1曲の中で拍子やテンポや音程が目まぐるしく変化したり、アカペラから途中で有伴奏に移行したりと、さり気なく複雑で、技巧的な歌唱力が要求され、しかしそれ故にとてもドラマチックなものとなっています。

小品ではあるものの、音楽の素人から見ても結構評価されて良い作品だと思うんですが……どうなんでしょうね。

ーーと言いつつ、所詮ミーハーなファンとしては、1幕終盤の、

身体を清め勝負ワンピースをまとった美しいフランチェスカ→堪らずロバートが、フランチェスカを抱き締める→2人、熱く盛り上がる→マージから電話が入る→フランチェスカ、蕩けそうになりながらも電話を取る→ロバート、そう簡単にクールダウンできず手も離せず焦れる、焦れる、焦れる!

この辺りの一連のロバートの仕草の流れにどきどきしてしまったりするのです(^_^;)。

ここで焦らされるからこそ、その後の「旅は、あなたへと至る」があり、この2人の関係がただの道ならぬ恋に終わらないものとなるわけですが。

ついでに、プレビュー初日で2幕の翌朝シーンを見た時「ロバート、何故きっちり着衣?」とツッコミを入れましたが、逆にあの1幕エンディングを経てここまで清潔感を保って凄い!……と思わせておいて、その後のコーヒートークで声だけできっちり色気を出してくる山口ロバートはなかなか稀有な存在だとも思います。

なおかなりの失礼を承知で申しますと、ミュージカル役者の皆さまの中では山口さん、どちらかと言えば不器用な枠に入ると思っていますが、その歌声が持つ説得力の飛び抜け方は本当尋常ではございません。

それから、今日は、2幕のフランチェスカのイタリアでの日々の回想、ロバートが一緒に行こう! フランチェスカ! と呼びかけてそんなことはできない! と言われる場面、そして死期の近づいたロバートの恋人への色あせぬ思い、以上3つの場面の歌声を聴きながら目に涙が滲んでいました。決して後悔はしていないが、あまりにもままならぬ人生の甘みと苦み。この物語はたまたまラブストーリーですが、恋愛絡みでなくてもこの種の甘みと苦みに関して、人生におけるいくばくかの記憶が呼び起こされたのかも知れません。

最後にこの公演について。とにかく少しでも初日に近い日程でチケット確保したくて取ったのですーっかり忘れていましたが、e+貸切公演でした。

なので主演2人のご挨拶があることを全く予測しておらず、何だか得した気分に。

山口さんが「イー、プラス!」と両手で+のポーズ*1を取って現れたのを受けて、涼風さんも同じポーズで決めていました。

ちなみに山口さんの本日のご挨拶では「日比谷公園の春の花が綺麗です」とおすすめしてましたが、現在足が不調なのと、終演後の空腹に負けたのとで公園までは足を伸ばせず。暑いぐらいに暖かい日だったので、さぞ花が綺麗に咲き誇っていたことだろうと想像しています。

*1スペシウム光線のポーズに近いです。

2018-03-03

『マディソン郡の橋』初日感想(2018.3.2ソワレ)

キャスト:ロバート=山口祐一郎 フランチェスカ涼風真世 マリアン=彩乃かなみ マイケル=石川新太 キャロライン=島田彩 チャーリー=戸井勝海 マージ=伊東弘美 バド=石川禅 others=加賀谷一肇

『橋』のシアタークリエでの初日を観てまいりました。

今回は原作小説を流し読みながら読了し、舞台版との違いも把握した上での満を持しての観劇。

ただし、今回本業でどうしても外せない仕事が夕方まで入ってしまい、それを終えて途中からの劇場入りとなりました。

1幕途中のマリアンのソロが終わる頃に遠慮もなく後方のセンター席にえっちらおっちらと入りました。ロッカーがいっぱいだったため止むを得ず大荷物を背負っての座席入りで、ご迷惑をおかけした周囲の皆さま、改めてごめんなさい。

そんな状況だったので舞台に気持ちが入り込むのに少々時間がかかりましたが、1幕終盤ではすっかり、そうだよ、私もフランチェスカ程苦労はしていないけど、今日は長い旅をして、あなた=ロバートへと至ったんだよ! という心境に至っていました。

ロバートと出会う前のフランチェスカは、自分の故郷イタリアでの過去を決して忘れたことはなくても*1、それらは家族との日々や広大なとうもろこし畑の風景の中では無用なものなので無意識に封印していたのかな、と想像しています。

一見賑やかかつ平穏な日々であっても、心の奥底では常に1人ぼっち。ロバートも常に1人きりで、少なくともこの舞台上では直接対面して触れ合ったのはフランチェスカだけ。

運命の相手を探すなんて思いもよらなかったのに、出会った一瞬で旅の終わりは目の前の相手だと気づいてしまった*2

「旅は、あなたへと至る。」(ミュージカル「Falling Into You」歌詞より)

「長い道程を旅したあと、やっと故郷の篝火を見つけた昔の漁師のように、彼の孤独は解けていった。」(小説の一文より(文春文庫版))

小説でもミュージカルでも、2人は巡り合ったことによって互いが存在する世界の素晴らしさを認識することになり、フランチェスカの心の封印も解かれました。しかしそれはフランチェスカにとっては、同時にただ夢中で生きてきた家族との暮らしがいかに大事であったかについても認識することにつながってしまったのではないかと思うのです。

それにしても、フランチェスカへの愛情を自覚してからのロバートの歌、晩年の「It All Fades Away」に至るまで、要約するとひたすら「フランチェスカが好きだ、好きだ」と語りまくっていると、観劇2回目にして気づきました。いくら心は一瞬で距離を飛び越えると言っても、 「(写真が)色あせても、残るのはあなた」 であったとしても、切なすぎます、ロバートさん……。

ただ、プレビューで観た時よりはロバートの最期は幸せそうに見えました。 自分の人生における選択は正しかったというより強い確信を、その歌声から感じ取りました。

そういう印象を抱いたのは、カーテンコールで、演じる山口さんが、舞台に立つことの幸せや「おじいちゃん」になって感じるここに生きていることの幸せをしみじみ語られたから、というわけではありません。

ミュージカルの歌は、ただ上手に歌うだけでは成り立たず、歌そのものがそこにいる人物を体現する演技として成立することにより、観客を引き込む説得力を持つことが大事だと常々考えていますが、山口ロバートの 「It All Fades Away」はまさにそうした力強い説得力を有していたと思います。

ちょっと真面目に語ってしまいましたが、1幕のロバートには、ナポリの写真をフランチェスカに渡す前に、喋りながら荷物を置いたりバッグを開けたりで妙にもたもたするような「かわいい」要素もあったということを付け加えておきます(^_^)。

今回の感想、ロバート話ばかりになってしまいましたが、バドのことも少し語らせてください。

原作にはあまり人となりが描写されていない人物ですが、ミュージカルではロバートとの対比として、荒削りでひどく頑固で口より先に手が出て、でも秘めた優しさもあって、妻と子供達への愛情は最強、という人物として描かれています。そんな人物を禅さんが適確に造り込まれていました。

山口さんが、プレビュー初日とクリエ初日のカーテンコールで2回も「好きな台詞」として語った、
「お母さんの言う通り、アイスクリームを食べに行くんだ!」
は私も好きな台詞です。頑固で、農家を継ぎたくなくて反発する息子マイケルとどうしても対立してしまう自分への苛立ち。そんな自分の拳の下ろし所を懸命に作ってくれようとした妻への愛とリスペクト。そんなバドの心情が如実に表れた台詞だと思います。

これからまたクリエに出かけるためあまり時間もありませんので*3、初日の感想はひとまずここまで。

あとは残りの観劇(チケットが激戦で、あと2回しか観られません)で反芻しながらまたこの演目の良さについて考えていきたいと思います。

*1:本公演でカットされていなければ1幕序盤のフランチェスカと娘とのやり取りで、イタリアの大学に行ってもいいわね、でもお父さんはキアラ伯母さんをアバズレと嫌っているわよ、というような話がありました。

*2:そう言えば「旅の終わりはおまえ」というタイトルの演歌があったような、と思い出しました(^_^;)。

*3:諸事情でこの記事は3月3日にしていますが、実際には3月4日に書いています。