先日「楽しむこと」などといっていたら、
「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」
まさにこれですね。
と指摘をもらう。
正にこれだ。
論語。
クダクダ々々いってたが、畢竟「先人の言葉はやはり正しい」ということになった。(憮)
思考の回り道か。
どんな環境でも「楽しむ目」のある人は楽しんでいる。
それがどれほど本人にプラスか、その利得は計り知れない、と思う。
で、その先。
記憶の色
自分が学生時代を「楽しめて」いなかったことは、先日のとおりだがどうにも不思議なことが。
一番嫌だった高校時代、を境に「記憶に色がない」のだ。
灰色人生、とはよく言ったもの。
高校時代の灰色、を起点にして中学、大学へと離れるにつけ少しづつ色が戻ってくるような感じ。
(余談だが、世を儚(はかな)んで断崖から飛び込む人はその直前、視覚から「色」が消えるらしい。こわ。)
そんなことで、毎日の「色」を意識してみて「カラフル」でないなら、要注意だ。
逆に鮮やかに色がついていれば大丈夫だ。
景色を変える
「苦労すら楽しむこと」が幸せへのパスポートだ、などとエラそうに言った。
言葉遊びではなく、辛いことすら「楽しむ目」が持てれば、日々は楽しくなる(当たり前だけど)。
そして気づく。
景色がちがうことに。
景色。
見晴らし。
例えば、志望の学校や会社に合格して通い始める初日、はどうだろう。
みな「胸ふくらませて」いる。(なぜ胸なのかな)
景色は。
見晴らしのいいこと、この上ない。
前途洋々。
【前途洋洋】
今後の人生が大きく開けていて、希望に満ちあふれているさま。
無限に開ける未来。
逆に自分のように「サイアク」と思っていたら辺りは灰色のままだ。
偶然「よい景色」に行き当たった人はよい。(それでも「そのこと」は知っておいたほうがいいけど)
「景色が悪い」とか「うあー、灰色」とかいう気分なら。
景色は、変わる。
なんとか、景色を変えるのだ。
そう思ったとたんからもう「灰色からの脱出」は始まっている。
どんどん色をつけていこう。