藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

夢を持て。


65%の大学生が「日本の将来に「夢がない」と回答した」という調査。
一瞬何たることか、と思ったがさもありなん。
坐して動かば、そんなものである。

人間的成長、を自らの最高の報酬とする。


というのは「研究者の仕事術(島岡要著)」の第一法則だが。

それにしても。
「そういう」趣旨のアンケート、つまり「夢ありますか?ありませんか?」と問いかける方にも問題ありか、とも思う。
でそれにしても。


「将来に夢がありますか」と聞かれて「ええ希望でいっぱいです」といえるような時は人生でそんなに数多いものではない。
というか人生の中の時間のシェアでいうと、ずい分低いものだろう。
ただ待っているだけでは、そんなもんである。
でもこれは「ただ待っているのじゃなければ」事態は激変するのである。
これを知っているだけでも、人生ずい分と楽しめるということを自分は最近知った。(愉)


やりたいことがあって夢いっぱい、とか何か目的とか達成の喜び、というのがないと、そりゃ楽しいことはない。
だからといっても、「やりたいことを探せ」というのは自己目的化のワナである。


何か「喜ぶためのもの」を率先して探すというのはどこかあざとい。
同様に「他人と違うことをやりたい」という表現もどこか訝しい。


だので「何のための人生か」ということを考えずして夢があるとか、ないとかいうのはそもそも議論の土台がずれていると思うのである。
だので、こういうアンケートを取る会社はそういう部分まで突っ込んで、掘り下げて聞いてくれないと、何か皮相的である。

人生はその「楽しみ方」を考えてみるだけで周りの景色が一変する、というような代物である。

不景気なツラをして、周囲に文句をたれ、自分の不幸を嘆き、他人の批判をする、というような態度は最も自らの人生を楽しまない方法である。


自分も、今の自分の周囲を総点検して「楽しいことだらけ」の世の中にしてゆきたいな、と思う。
本当に日々、そんな「自分の感じ方次第」という感覚を常時持つことは人生のかなり重要な要素なのではないか。


最近、気心の知れた仲間と過ごしていて、特にそう思うようになってきた。
正の連鎖、負の連鎖、というのはあるものだ。
似た者同士、類は友を呼ぶのだろう。






<nikkei webより>

日本の将来「夢ない」65% 大学生、雇用・財政難でがっくり


 大学生の65%が日本の将来に夢や希望を持てないと感じていることが11日、資産運用会社フィデリティ投信の調査で分かった。
デフレ不況が長期化し、明るい未来像を描けない若者の不安意識を浮き彫りにしている。

 夢を持てない理由(複数回答)として「財政赤字が深刻化し、若年世代に過重な負担」「雇用不安が続く」の二つが70%台に達した。
公的年金の世代間格差はなくならない」(55%)、「所得が増えず豊かな暮らしを望めない」(51%)との回答も目立ち、財政悪化や企業のリストラのつけが将来世代に回されることへの警戒感がにじむ。


 社会保障に関しては、35%が「現役世代の負担が少し増えても、公的年金給付などの現水準を維持すべきだ」と答えた。
「大きな負担増になっても福祉・医療を充実させるべきだ」(20%)と合わせ、半数強が負担増を前提に社会保障水準の維持・向上を求めた。

 退職後に一番頼りになる収入源としては65%が「貯蓄など自助努力で蓄えた資産」と回答。
公的年金」(17%)や「企業年金・退職金」(16%)を大きく上回った。

 調査は1月にインターネットで実施し、約2200人の大学2〜4年生から回答を得た。