藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

言葉とか知識とか。


鷲田清一さんの朝日コラムより。

僕にとって「ことば」は、今までとは違う自分に変わるための、手がかりです。

最近よく言葉とか知識とは何だろうかと考える。
言葉は自分の意思を表す。
そして言葉は集積して知識になってゆく。

自分が考え、頭の中で編纂したものは、一体「どこから」が自分のオリジナルなのだろうか。

どんな考えも、まったく自分の中で自然発生的に芽生えたものではない。
そもそもの言葉が教育とか、外部環境から与えられているものだからそう思うのである。

それでも言葉はまあ「自分自身の意思の信号だ」という感じは実感できる。
喜怒哀楽は自分の思う言葉で表現できるから。
けれどいろんな知識というやつはどうだろう。

借り物の知識。

最近特に思う。
これからの社会は、とか
今度の事業は、とか
健康のためには、とか
日々自分たちは否応なく会話し、自分の意思を表現しているけれど、そのどれもが「本当の自分の考えかどうか」と言われると疑問である。
(つづく)

言葉が導く、心の引っ越し 「折々のことば」4月スタート 筆者・鷲田清一さんに聞く

4月1日から新コラム「折々のことば」が1面で始まります。古来の金言からツイッターのつぶやきまで、さまざまなことばをご紹介し、ことばからめぐらせた思索をつづる毎朝のコラムです。スタートを前に、コラムを執筆する哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんに、ことばへの思いを聞きました。
僕にとって「ことば」は、今までとは違う自分に変わるための、手がかりです。
「私の人生は、こういうもの」「社会って、こういうこと」――。誰しもそんな風に、自分なりのものの見方を持っていると思います。でも、もしかしたら全く違う見方が、あるのかもしれません。それに気づくきっかけになるのが、ことばです。
なじみのないことばを何度も見返すうちに、だんだんと、人生や社会は「こういうものだ」という思い込みがほぐれていきます。そしてある時、ことばの輪郭がくっきりしてきて、世界がずいぶん違って見える瞬間が訪れます。ことばをきっかけに、今までとは違う自分に変わる。いわば「心の引っ越し」です。
コンピューターにたとえると、心の「初期設定」や「フォーマット」を、書き換えるということでしょうか。当たり前だと思っていた前提が、当たり前ではないことに気づく体験です。
フランスの哲学者メルロポンティのことばを借りれば、「おのれ自身の端緒(根っこ)がたえず更新されてゆく経験」ということです。つまり、哲学そのものです。
僕自身も、変わりたい時には、ことばに頼ってきました。大学生くらいの頃から、感じ入ったことばを、手帳に書き写しています。
書き写すのは、自分には「わからない」ことば。よく理解できないのに、なぜか心をわしづかみにされたり、抵抗できないくらいにぐーっと心に入ってきたりすることばです。本当に自分の心を開いてくれるのは、そんなことばです。
ことばには意味だけでなく、リズムや言いっぷり、感触みたいなものがあります。書き写すことで、その感触を体で理解します。そして書いたことばを、しょっちゅう見返しています。

■ありふれた一言が糧になる
連載では、今まで書き留めてきたことばや、新たに見つけたことばをご紹介します。
まずは古典。僕が好きな、劇作家の寺山修司や、哲学者のパスカルのことばは、登場回数が多くなりそうです。
「時は金なり」「灯台もと暗し」といった、よく知られたことわざも取り上げます。ありふれたことばも、読み方によっては、新しい景色を見せてくれます。
友達や知り合いの銀行員、工場主……僕が出会った人たちから、直接聞いたことばも紹介します。他の名言集にはない、ここだけのことばです。素通りしてしまいそうな、一見普通のことばに、仕事への矜持(きょうじ)や人間関係の機微がにじんでいると、ついつい誰かに話したくなります。
生き方を指南するような「名言集」に入っていることばには、「それでいいんだよ」と自分の考えを再確認させてくれるものが、多いのかもしれません。でもこの連載では、その種のことばはあまりとりあげません。本当に糧(かて)になるのは、異なる見方に気づかせてくれることばだと思うからです。
ことばの意味がすぐにはわからなくてもいいと思います。その日一日、ことばをふわーんと自分の周りに漂わせてみてください。
毎朝のことばのうち何十回に1回でも、「ああ、そういうことだったのか」と何かに気づくきっかけになるような、出会いがあればいいなと思います。中には、1年後か2年後に、ようやっと意味がのみ込めることばもあるでしょう。(聞き手・構成高重治香)
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わしだ・きよかず 哲学者。2015年4月から京都市立芸術大学学長。
 1949年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。関西大学教授、大阪大学教授、同総長、大谷大学教授などを歴任した。13年からせんだいメディアテーク館長も務める。著書は、「モードの迷宮」(サントリー学芸賞)、「『聴く』ことの力」(桑原武夫学芸賞)、「『ぐずぐず』の理由」(読売文学賞)、「哲学の使い方」など50冊以上ある。
 哲学の視点から、身体やケア、モード、アートなどを論じてきた。近年は、医療や介護、教育など、問題が起きる現場で生きる人と対話しながら考える「臨床哲学」に取り組んでいる。
 
■いま、なぜ「ことば」なのか 届けたいのは「時間のオアシス」 編集部から
新聞にはたくさんのことばが載っています。インターネットには、さらに多くのことばが、日々蓄積されていきます。ことばの海の中で、時々息苦しくなることはないでしょうか。
「折々のことば」は、たった1人が選んだ、たった一つのことばを、毎朝お届けするという試みです。ことばと一緒にお届けしたいのは、自分のペースでことばを受け取る「時間」です。
時代を超え、国境を超えて届くことばがあります。同時代のことばがあります。誰が言い出したのか、はっきりしないことばもあります。多様なことばを元に、思索を紡いでこられた鷲田清一さんに、筆者・選者をお願いしました。
折々のうた」をはじめとした歴代の1面のコラムは、強く「立派」なことばが多くなりがちな1面のオアシスとして、読者のみなさまに親しんでいただきました。「折々のことば」も、ゆっくりとした時間が流れる場所になればと願っています。
■切り抜いて保存、日めくり手帖
「折々のことば」を切り抜いて貼れる「日めくり手帖(てちょう)」を販売します。縦14センチ、横9・5センチの手のひらサイズで、1ページに1日分、1カ月で1冊が完成します。金具で壁掛けも可能です。1冊100円(税込み)です。お近くのASA(朝日新聞販売所)でお求めください。お届けに1週間程度かかることがあります。