職業蔑視、企業崇拝

脱サラ、と言う言葉ができたのはいつ頃だったろうか。
バブルの頃か その少し前だったように思う。サラリーマンをやめて昔持っていた夢を追いかけたり、さまざまな新しい商売に挑戦したり。そういう人達をTVで見ると 何で初めからそういう商売をしないんだろうと思っていた私はただ世間知らずだったのだろう。
ただ登校拒否児の先駆けだった私にはサラリーマンのイメージはいかにも息苦しいスタイルで何年も続けられそうに思われなかった。
子供の頃は職業のイメージってもっと多彩に流通していたのに いつの頃からか「どんな職業か」ではなく「どこへお勤めか」ばかりが聞かれるようになった。
これが職業倫理の退廃でなくてなんであろう。
就職氷河期の問題や派遣労働の問題も根底には「職業蔑視、企業崇拝」の風潮がある。この風潮は勿論若い人達よりもむしろ上の世代に責任がある。

私もロスジェネだったのか?

1965年生まれ、まさにバブル就職世代の私が
「私もロスジェネだったのか?」って言えば
当の就職氷河期世代からは
「ふざけんな!一緒にするな!」って言われるかもしれない。

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1988年に大学を卒業する時はまさにバブル花盛り。
毎日のように会社案内がドッサリ届いていた。
この時、進路指導の先生(職員?)に就職活動はしない、
と答えて珍しがられた記憶がある。

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漠然と研究職を目指していた私は米国へ私費留学して
まず英語研修に通い、その後、修士を取って
帰国したのが91年の夏。
その時はすでに株価は暴落し始めていた。
もしこの時就職活動し始めていたら
ほぼ92年卒の人と条件が近いので「氷河期世代」と言えないこともないかもしれない。

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ただ私には
「社会人→金を稼ぐ」という意識はあったが
「社会人→サラリーマン」という意識がきわめて薄かった。
なぜ同期の皆(99%!)が「きちんと」どこかの会社に「就職」しようとするのか
理解できなかった。
父はサラリーマンだったが母は零細ながら学習塾を経営していたし
親戚が喫茶店を経営したりしていたので
「社会人=金を稼ぐ=何かを売る」という意識が強かった。

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何かを売って生計を立てなければいけない、という事は
早くから自覚していたが
企業などの組織にはいって、
その組織のルールをひたすら守る事で生活できるとは到底思えなかった。

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『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』
で知られる赤木智弘さんの主張には、
ほぼ全面的に共感できるのだが
「働く=企業労働者」が前提になってしまっている現状を
疑って考える事も必要なのではないだろうか。

富の再分配は何故必要なのか

最近、格差の問題について色々調べている。
それで思うこと。

日本には今、色々な問題があるけど
現在、増えつつある貧困層の問題、これほど重要な問題はないんじゃないか、
との思いを強くしている。
で、もっと声を大にして言っていかなければいけないんじゃないかと。

そもそも「富の再分配」がなぜ必要なのか。
経済をゲームに例えれば
誰かがひとり勝ちしてチップを集めてしまうとする。
そうするとゲームは続行不可能になる。
つまり経済の停滞である。
これは個人消費の低迷という形になってあらわれる。

次に道徳秩序の問題。
誰でも運悪く怪我や病気で働けなくなってしまう事がある。
そういう時に残りの人生をすべて貯金でまかなう事のできる人、
そういう蓄えを作っておくことのできる人はまれである。

20代で働きはじめてから
首尾よく70歳まで健康に働き続けることができれば
それは幸運である。
40代になって
それがあくまで「幸運」であることを実感している。

オンライン-マンデルブロ集合

witty_fool2008-06-02

取り組んでいる仕事に退屈してくると時々、
マンデルブロ集合を書いてみたりする。
最近、perlのモジュールをCで書く方法を知ったので
これを使って書いてみた。
そしてmultipart/mixedを使ってcgiにしてみた。
面白いのでクリックするとズームアップできるようにしてみた。
Firefoxでないと閲覧できません。たぶん。

http://nobu.aa0.netvolante.jp:8099/cgi/mZ.pl

貧弱サーバで動いているのであまりイジメないでください。

えっと、育児日記にしようかな・・・

最近、知恵がついてきた2歳の息子。
マジックとかハサミとか危険なものをめざとく見つけて
イタズラを始めるだが。

親が気がついて「あっ!ダメ!」というと
トッサに後ろでに隠す。

これが最近バージョンアップして
後ろでに持ったうえで
回れ右をして隠れたフリをしている。

ハサミは後ろの後ろ、というわけで
こちらを向いている・・・

否定の否定が肯定を意味する、という事に気がつくのは
もう少し先の事かな・・・