気が付いたらデジカメを7台(+ジャンクで2台)持ってる。

 
・カシオ EXILIM EX-S20(愛用品)
コニカ KD-400Z (バックアップ。かなりいい!)
富士フイルム Finepix 1500(今日100枚撮ってみた。かなりいいかも。)
ソニー Cyber-Shot DSC P-1(静止画は…微妙。mpeg動画はおもろい。)
富士フイルム Finepix A202(単焦点パンフォーカス機。値段相応。)
 
Panasonic DMC F-7(ラチ狭すぎ。電池がダメダメ。)
・サンヨー DSC-X100(電池全然もたない、ひどい(泣))
 
 このほかに、ジャンクで
カシオ EXILIM EX-S1(液晶が死亡している。撮影は可能)
カシオ カシオ EXILIM EX-S20(CCDのフレキ切れかけ。サイケな絵が出る。)
も持っているんだよなぁ…。
 

5:4という縦横比率は結構おもしろい。

 
 ここしばらく、デジカメ独特の4:3の縦横比が
何故かわからないけど生理的に「だめ」で、
中古デジカメをgetしたら真っ先に設定することが
撮影画像のサイズを「3:2」に固定することなんだけど、
先週日曜日にフリマで1000円で買ったFinepix1500は、
最大サイズでの縦横比率が5:4(1280x1024)という特異な設定になってます。
なぜ5:4なのか、その理由は不明。
 
 ともあれ、その5:4の縦横比で撮ると、
なぜかこれは撮っててしっくりきます。
なぜなのか不明だけど、不思議だなぁ。

出光

 

ななななななめ〜

 
追記:4:5と考えると、4X5(しのご)の比率なんだ。なんか、納得。
 

「2:3:4:5」

http://q.hatena.ne.jp/1147064342
人力検索はてな:


デジカメで撮影する時に画像の比率を4:3(一般)、3:2(一眼)等に設定する事が出来ますが、
ここで質問です。
プリントアウトする際に3:2の方が優れている事は調べて分かったのですが、
何故複数の画像比率を標準にしているのか(規格として1つの比率にしないのか)を教えて下さい。
またビデオ(デジタルビデオカメラ)の比率についても同様にご教授願います。

http://q.hatena.ne.jp/1147064342

 
 回答で4:5比率のデジカメとか携帯電話カメラの話が出ています。
 

1990年10月2日・3日、大阪西成暴動の模様を収録したTV番組。

http://www.youtube.com/watch?v=hecR6peEzsw
YouTube
 
関連リンク:
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/1990.10.2.htm
生田武志:文書Ⅰ─1990年10月2日「暴動」
 
情報元:
成城トランスカレッジ! http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060605/p1 
 

そういえば、西成の町を撮ってはった写真家の方で、中川繁夫さんってえらい方がおられますわ(偽大阪言葉)。

http://spaces.msn.com/nakagawa/
せんせの日記帖
  
http://www.geocities.jp/osibe0000/album001.htm
中川せんせ作品案内
http://www.geocities.jp/osibe0000/kamagasaki01.htm
写真展 kamagasaki(1)
http://homepage3.nifty.com/i-photoschool/photohouse/subpage014.html
中川繁夫写真集 釜ヶ崎(抄)
http://homepage3.nifty.com/i-photoschool/starthp/subpage11.html
せんせ写真集-無名碑-(抄)
 


釜ヶ崎の労働者は写真取材には拒否をする、
とゆうことが公然と言い伝えられていました。
だからボクはカメラを取り上げられて袋叩きにあってしまうかも知れない、
とゆう不安がありました。
 
ベニヤ板にそれまでに撮り溜めた写真を展示した初日の夕方あたりから、
展示写真の前には沢山の労働者たちが集まってきました。
 
その場は、嫌悪な気配は毛頭なくて、
ワイワイガヤガヤの和やかないい雰囲気でありました。
釜ヶ崎で当地を撮った写真で写真展をやるなんて初めてのことだと思います。
見物者たちは喜んでいるのです。
この光景はボクはある意味でショックを受けました。
釜ヶ崎の労働者に写真が受け入れられた、とゆう事実にショックを受けたのです。
 
西成署のおまわりさんが見に来ました。
ヤクザさんが見に来ました。
朝日新聞の記者さんが記事にするといいました。
翌日の夕刊に12段ぶち抜きの記事になりました。
「あ、わしが写ってる」とゆうようなタイトルだったと思います。
そうなんですね、
釜ヶ崎の労働者が自分たちの写真を受け入れたとゆう事実なんです。
 
ボクの釜ヶ崎への見方が一変したのです。
あるいは写真とゆうモノについての新たな認識といえばいいかも知れません。
釜ヶ崎は写真を拒否しなかった。
 
そこからボクの写真への思考が始まりました。
撮った現場へ写真を返す、とゆう言い方をしましたが、
撮られた写真が何よりも
被写体となった人が歓ぶ写真でないといけないとゆうことです。
少なくともボクの写真の方法は
プライベートな関係の中で生じてくるべきものでした。
 
(中略)
 
このような思いをもっての釜ヶ崎夏祭り「青空写真展」の開催でした。
写真界への反響ってのはまあ皆無に近かったとは思いますが、
実感手ごたえはありました。
 
ズシっとくるものがありました、感覚と感情的にです。
 
そのころの問題意識ってのは、写真の成立する場、とゆうことでした

写真への手紙・覚書/写真物語-3-
http://www.geocities.jp/osibe0000/syasinreki-3.htm

  

ところで、この西成の街並みってのは、私には結構見覚えがある。

大阪に住んでいた頃、クラブ明けの朝に、始発電車で新今宮に行って、
古ゲームソフトや、捨て値のCDの買い付けにいってた場所です。
この雑踏は、私にとって見慣れた日常の光景なんだ。
 
 西成の日曜朝市で、ジャンク500円で買ったカメラ、
ペンタックス ESPIO Miniは、結構使いやすい、いいコンパクトカメラです。
液晶表示がちょっとやばいけど(汗、今でも時々使ってます。