中山城





































今から約500年前(室町時代)、府道拡張に伴い、中山城跡発掘調査の
現地説明会がありました。
メチャ急勾配の階段を上がること、60Mの頂上にありました。

現地説明資料によりますと、中山城は戦国時代の後半(16世紀前半)に
築城され、16世紀後半には郭(くるわ)「城の中に作られた平坦地、兵士達を
配置した防御施設」の平坦地を広げ、17世紀初頭に廃絶したものと考えられます
との事です。

中山城跡城主について
戦国時代に書かれた史料がなく、中山城主が誰か、正確なことはわかりませんがん。しかし、後世の江戸時代に書かれた「一色軍記」をはじめ、いくつかの史料を
検討すると、城主は丹後の守護大名一色氏であったようです。これらの史料には、
一色氏が城主であった1579年ごろ、織田信長の指示で丹後に攻め入った細川
藤孝、明智光秀の連合軍によって、中山城は落城したとされています。その後は
細川氏の部下の沼田清延が城主として入り、1602年に主君の細川氏が九州の
小倉に移ったときに、沼田氏は一緒に移ったとされています。中山城跡の出土遺物
が17世紀初頭の唐津焼きを最後に出土しないことと合致します。以上説明資料より写し


   2010年8月28日(土)
   第98号 発行