CRのある風景 1と2

「それって、アカBANモノじゃないっすか。大丈夫なんすか?」
 と、学内のCRドメインを展開しながら後輩の後藤君は言った。レンズの接点照射モードを起ち上げ、学校から生徒向けに用意しているSNZのP2Pコンテンツにコンソールを合わせていた彼のカメラに対して、僕も同期作業を始めた。
 自身のリブレットである衣服由来のプロジェクションカメラによって、眼前に疑似投影されたWALKBOX(なんでこんな使いにくいソフトを選んでるんだ?)のアイコンにレンズコンソールを合わせる。ぱちぱち、と二回瞬きして、去年友人たちと一緒にTWEEってまとめた「法哲学概論」のレジュメを、学内既定である5分以内のバッファシーリングとしてアップしながら、僕は応えた。
「やっぱそう思う?」
「いやー、よく無事でしたよね。あそこのSNZってディスクロージャーのくせに実名前提でしょ? 確か、戸籍由来の実IDの提示まで求められるって」
「うん、最初はいいと思ったんだけどねえ。ほら、投票ベースと違って、議論用のサロンって、匿名準拠じゃん? その中から有力意見を抽出して、投票ベースに持っていくってオーソドックスがさ、面白くなかったから」
「そこがわかんないですね。別にいいじゃないですか。有効ってだいたい認められるうち、いくつかまとまった意見に投票。直接民主制としちゃまずまず仕上がってると思いますけど」
「んー、いや、バイパス選挙に文句言ってるわけじゃないんだ。実際、いいと思うよ。マスダセンセの『近代政治学』やった? 高校でも歴史の授業で習ったと思うけど、一世代前の」
衆議院参議院制、でしたっけ? オレ、マスダさん、どうも苦手で。どうしても眠たくなるんですよ」
「あれよか、策定過程の透明性も高いし、まあ、雑多な分、リアルタイムの有効かつ実直な反映には、速度面でまだ納得いかないけどね」
「それって、こないだの学官共同参画から帰ってきたミユキさんが言ってたまんまじゃないですかぁ」
「う、バレましたか」
「ゼミの報告会のログ35分ぐらいですよね。ほら」
 そう言って、ゼミの共有フィーダから報告会の更新LInkeを張り出してくる。空間投射された蛍光色のフレームメッセージ「2062年度UCU田宮分校法学部秋期ゼミ間横断定例会」とビデオ議事録のURLが表示されてウィルスチェックのモーメントがかかった後、往路を歩いているためいっそうカタカタ歪んで粗い動画が自動再生されはじめた。サブユーティリティの「測定さん」と「ほじほじくん」が現在のファイルに対する画質強度(FPR)は30PRから40PRとけっこうな低レートなので、このままさらにオーバレイを行うと、画像保持に自信が持てませんと泣きついてきた。すると、今度は「↑SERVE」が最寄りの転送レートの高い屋外サーバを検出して、オーバレイで誘導表示を投げかけてくる。さらにレートが落ち、泣き出す「ほじほじくん」。力強く「こっちのサーバはあーまいぞ」と唄う「↑SERVE」。
「なんかこの辺のサーバって弱くない?」
「ええ、なんででしょうね。理学部がなんかの実験中で屋外サーバも使ってるのかな」
 と最寄りの建物を眺めた。
「まあ、いいや」
 屋内録音特有のざらついて割れがちな声を垂れ流していると、聞き知った音律が耳に届いた。どうしてもそこに目をやってしまう。
 途端、リブレット内のセンシングカメラが瞳孔とレンズの相互間反応と自らが投射している対象との位置関係を読み取って、目を細めて注視するコンテンツを拡大する。インターフェースの過度な自動化も困りものだなと思うときはこんなときだ。見たいけど、見たくもない。システムってのはそんな機微を読み取ってはくれやしないのだから。
 そこへふらりと落ち葉が降ってきて、ビデオデータの前にかぶさり、突き抜けいく。一瞬乱れた画素がそれでも、上月深雪の姿を象っているのがまざまざと知れた。その佇まいに胸がドキリと跳ねてから、痛む。もはやたまらなくなって手で払い、表示されたオーバレイたちをワイプする。
「ていうか、いちいち送らなくていいよ」
 素知らぬ顔でまじまじとビデオを眺めて後藤君。
「ミユキさん、相変わらず美人でかっこいいすよねえ。ああ、踏まれてえ」
「は? 何? 頭大丈夫か? 意味わかんないよ」
「ふふん、分からないかな。分かるはずでしょうに。これだから、M気質と自覚しないマゾは困るんですよねー」
 鼻で笑われたのがひどくムカついたので、膝裏に蹴りを入れて、おまけに
「そんなこと言うと、『刑法1』のレジュメやらないぞ?」
「あわわ。それは困ります。赤木センパイの個人レジュメがテスト対策にはベストオブベストだと、ゼミ連中も大絶賛中ですので、そこはなんとか。――優れた文化は残るべきなのです」
「じゃあ、『メーテル』で今からコーヒーおごれ」
「え、今月はアフィリエイトの稼ぎが芳しくなく」
「単位と380円とどっちが大事なんだ?」
「はっ。目先の損より崇高なる目的『進級』でございます」
 ということで、僕たちは学内一の不人気喫茶店に向かうことにした。

続く。

「……だってさ、じーちゃんの時代なんてさ、電話がケータイなんて言われてたんだよ?」
「ケータイ? なんで? 電話って普通、いっつもありますよね?」
 ほら、といって、後輩の後藤君はドメインを立ち上げて見せる。透過率0%反転表示にしてみせて、通常他者には見えない個人的なメニュー画面を見せる。頼むから、エロ動画サイトを常駐表記しないでほしい。しかも、そこは僕もお世話になっている極めて実用的な所。自分の恥をさらされているようでなおさら恥ずかしい。
「わざわざありがとうだから、もうしまって」
「へい。どういたしまして」
「で、まあ、今と違って、昔は電話を持ってたんだって」
「だから、持ってたって? 持ってたって何すか? 固定の据え付けのは知ってますよ。非常用の公衆電話とか。オレの田舎の公民館にもあるアレは。え、まさかアレを持ってた? どうやって? 肩に提げたんですか?」
「まさか、そんなわけないだろうけど、だからさ、ソフトじゃなかったんだって。ハードウェア。機器だったんだって 手のひらぐらいの大きさで」
 と、だいたいのイメージをペイントソフトで描いて見せる。非常用の公衆電話のあのダンベルみたいな形を手のひらサイズにミニマムにしたものだった。
 それをぼーっと眺めて、後藤君は
「はー……なるほど。まあ、今のCRみたいな仕組み自体がなかったですからねえ」
 と、テーブルの中空に浮かんでふよふよやってきたボールを鬱陶しそうに指ではじき飛ばした。古い閉鎖空間型のゲームである「ピンポン」がこの店ではなぜか常にオープン起動になっているのだ。
「アレ?」
「何スか?」
「なんかイメージと違ったね。ケータイ」
 そんなことを呟きながら、オーバレイを共通表示にした。
 そこには薄くてシャープな小物のような形をした手のひらサイズの携帯電話と呼ばれるデバイスの動画および静止画とそれについての説明書きが映し出されていた。
「ああ、こういうのなんだ。つか、どうやって調べたんすか?」
というのは、UCU田宮分校はゲートをくぐると、自動的に学内のCRに限定的にアクセスされ、所定の場所以外ではオープンチャンネルに接することができないからだ。これは不必要な外部ネットとの接触は種々の点で学業の妨げになるといっているが、表向きのことで、公的施設の多分に漏れず、年々かさむセキュリティ対策予算を抑えるためだというのが公然の秘密とされている。
「ガッコの図書館から引っ張り出した」
「ふーん、へー、なるほど」
 といいながら、ピンポンの球を転がしていた。
「うっぜー。停止できないんでしたっけ?」
「だめだって」
 ここメーテルのピンポンは、リージョンマスター級の管理者裁量が働いているため、末端のユーザ権限では、停止信号も受け付けないという超絶不親切仕様となっている。
 結果、ひたすら延々とふよふよ漂ってくるボールがひたすらウザいことは、確実にこの店が孤高の不人気ナンバーワンへの地位を守ることに寄与していた。
「ああ、うぜえ。ほんとなんで『メーテル』なんすか」
 とレトロで重厚な色合いの黒っぽい木調の店内を見渡す後藤君。ジャズが流れていて、いい雰囲気だが、あいにく渋いマスターやかわいいウェイトレスはいない。セルフサービスの無人喫茶だからだ。趣深い内装も展開しているCR上の反映されているインテリアルを引っぺがせば安い材木しか使っていないことは知っている。一年生の時、CRの接続を切ってみて、すでに真実を確かめているからだ。物理建造物としても問題があり、空調が効きにくく、日当たりも悪いので、夏は暑く、冬は寒い。
「なのに、なんで?」
「クセになってるんだよ。ここのコーヒーが」
「うっそ。こんな不味いのに」
 そういってお品書きの方のメニューを呼び出す。男らしい字で「珈琲」と描かれていた。お値段380円。デフレの波が続く現代においては、通常まかり通らない金額設定であった。
「ありえねえ。ドトールですら90円コーヒーの時代なのに。なんだこれ。ありえねえ」
 ぶつぶつと文句たれりーのでメニューを眺める後藤君だがさにあらんや。
 ここ『メーテル』が学内の、どの学部からも比較的近距離でやって来られる喫茶店なのに、試験前ぐらいしか客が入らないのは以上のような理由があるのだった。
「まあ、でも、便利だよねえ。やっぱ」
「なにがすか?」
「これ」と辺りをぐるり指さす。
「ああ、まあ、確かにこれがない生活ってのは、ちょっと。考えにくいっすねえ」
 つまり、CRのことだ。
 そもそもCRとはなにか。CRとは偏在高速度ネットワークと、個的カメラセンサー群とをつなぐ医療用投射体デバイス(多くはコンタクトレンズかメガネの形をしている)により、あたかも目の前に存在するように現れるコンテンツ全般を指す。
 その意味は年を重ねるにつれて、どんどん多様的に用いられており、今では、ネットワークの内的外的性格を問わずに、ユーザがネットワークへのフレキシブルかつモバイルな常時接続時に使用するシステムモジュール類=モニター、インターフェース、ユーティリティ、ストレージ、コンテンツなど、レンズ越しに目の前であたかも実在するかのように振る舞う一切合切が重ね合わさっている状態そのものを指してCR(CO:REALITY)=準現実といっている。
 ハードウェア的には埋設型の屋外サーバや、無線サイクルバッテリー、フラレーンカメラ、センシングリブレット、コンソールレンズによって成り立つ仕組みだ。
「技術って進歩したよなあ」
「しみじみ思います」

 続く。