週末の記録その1



金曜日の夕方、グランドオープン当日のエキア成増を一回り。
数多いスイーツ店の中で目を惹いたのは何といっても、くりこ庵の「東武鉄道電車焼き」の貼り紙。あんこが苦手なので鯛焼きはまず買わないけど、いさんで行列の最後尾へ。同居人は定番の小倉あん、私は期間限定の「西尾の抹茶クリーム」を選択。分厚かったのが、袋に入れてホームに持っていくまでにちょこっとへこんでしまった。たっぷりの抹茶クリームは美味しかった。


土曜日、映画の前に新宿にオープンしたてのニュウマンに立ち寄る。
あまり時間が無い中、まずはお米回りの専門店AKOMEYA TOKYOにて、ご飯のお供じゃないけど、試食して気に入った「瀬戸内産レモン入り しろまめじゃむ」「瀬戸内産レモン入り あずきじゃむ」を購入。トーストに塗るのが楽しみ。
ル パン ドゥ ジョエル・ロブションでは、普通のバゲットと、ニュウマン新宿店限定の「とろけるビーフの赤ワイン煮込み」。バゲットの円い器に赤ワインで煮込んだ牛肉が入っているもので、ずっしり重たい。これは明日の朝食の予定。

最近見たもの



ピーウィーのビッグ・ホリデー


ピーウィー・ハーマン」映画がNetflixオリジナル作品として復活というので、配信開始早々に観賞。ポール・ルーベンスピーウィーは昔の面影があるどころか、昔のを見返さなければイメージは全く変わっていない。
新作はアパトー制作ゆえか、ピーウィージョー・マンガニエロ(本人役)のブロマンスもの。「新しいものに興味が無い」ピーウィーが町から出るはめになるのは前作同様だけど、今回の旅の理由はひとえに「ジョーに会いたいから」。マンガニエロのような「セックス」の権化、あるいはそのものすぎてそこからずれている存在が「ルートビア・キャンディ」などの「子どもっぽいもの」に夢中、というのを皮切りに、全編に渡って「セックス」の心棒に「子どもっぽいもの」をコーティングして提供してくれるのが楽しい。
それにしても、落語「一眼国」の枕のようなネタ(「baby rattlers(赤ちゃんのガラガラ蛇)」と書いてある箱に「baby rattles(赤ちゃん用のガラガラ)」が入っているなど)を21世紀にもなって映画で見るとは、と思ったけれど、子ども向けコンテンツなんだから言葉遊びが出てくるのは当たり前か。振り返るとアメリカの地理や文化が散りばめられているのも楽しい。尤も私が一番好きなネタは「ミニチュアのミニチュア」だけど(笑)


目についたキャストは、ラス・メイヤーふう銀行強盗三人組のうちの「ピーウィー」役のアリア・ショウカット(スクリーンでも見たことがあるけど、やんちゃそうでいてしんみりしているのが印象的)、「ピーウィーの相手役」再びのダイアン・サリンジャー、マンガニエロの誕生日パーティのDJ役のデヴィッド・アークエット(…は、クレジットで名前を見つけて確認するも0.1秒くらいしか映っておらず分からなかった・笑)

▼バッド・ブロマンス



ジャック・ブラックジェームズ・マースデンの『オジサンラブ』」という宣伝文句につられて手に取ってみたら、全然「ブロマンス」ものじゃなかった(原題は「The D Train」、最後にJBがもう「迷わなく」なる明かし)むしろ「ブロマンス」なんてお気楽だよね、という話といってもいい。そうあるタイプの映画じゃないけど、ニュアンスが近いのは「ヤング≒アダルト」かな。


何せ上記「ビッグ・ホリデー」のマンガニエロが目に焼き付いてたもんだから、似たような装い(白Tと白タンクの違いはあれど)のマースデンを見ても、わあゴージャス感が無い!と思ってしまうのは仕方ない(笑・いつものように瑞々しく心奪われることには変わりないんだけど)でも「高校時代にピークを過ぎた」、田舎を飛び出して都会に出たものの通販番組くらいしか仕事の無い男という役なんだからこれでいいのだ。
邦題とジャケ写から想像できないとはいえ、JBが演じるのはまあ、彼らしい役柄ではある(あのジャケ写はJBの「夢」なのだ)妻役のキャスリン・ハーンはいつもの彼女。脇に久々のマイク・ホワイト、映画もちょこっとそのカラー。



▼最高の花婿


「今は2013年よ」とのセリフに、こういう題材の映画の公開は本国にそう遅れないようにしてほしいものだ、と思った後に、普段は「外国映画の公開が遅れること」を何とも思わないくせに、特定の題材の作品については「リアルタイム」に近い方がいいと思う、ということは逆に、他の映画だって、気が付いていないだけで、「リアルタイム」で見た方がよりいい要素を含んでいるのではないか?と考えた。


登場人物全員が喜劇的馬鹿だが(これから結婚する二人、特に「花嫁」は例外だけど)中でも父親二人が最高に迷惑野郎で、妻達はなだめるのに必死という描写に、劇場で何度も遭遇する山田洋次の新作の予告の「お父さんといることが私のストレスなの!」に、だからなるんだよと思ってしまった(笑・山田洋次ぽい映画だったの)
「娘を移民どもに取られた」への「私は物じゃない」、「黒人とケーキを分け合う気はないって?」への「誰がケーキだって?」などがうやむやのまま終わるのが気になったんだけど、食後には男女で分かれて「飲酒」と「皿洗い」に勤しむような映画だから、そこどまりで仕方ないのか。


▼砂上の法廷


鍵を握る「容疑者の少年の母」役のレニー・ゼルウィガーが誰だか全く分からない顔になっており、まあ声とちょっとした動きで彼女と認識できるんだけど、女優って、大抵は若い時から世に出てるものだけど、この年嵩の「新人」と思って見るのも面白いじゃないかと考えた(笑・とにかくそのくらい「別人」だった)


クラシカルな法廷もので、「アメリカの弁護士」ならではの面白い部分が活かされており、「きちんとした身なり」のキアヌも目に楽しいけれど、なんというか、ルメットの映画の中でも全然口の端に上らないやつみたいな、と言ったら誉めすぎかな、という感じを受けた。
宣伝文句通り、確かに「誰もが嘘をついて」おり、幾人もの証言の後に、その人の記憶であろう、多くは証言の内容と異なる回想シーンが挿入されるんだけど、そこに弁護士であるキアヌが登場する時、関係者の「昔からの知り合い」なんだから別におかしなことじゃないのに、時空がねじれたような面白さを感じた。「法廷もの」ならではじゃない、こんなところが一番面白かった(笑)