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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-11-28

エロヒムエロヒム 2018/11/30 05:07 仏さまというのは実は宇宙人のようです。
釈尊も、モーゼもキリストも。
法然上人は目から光を出した。ノアの箱舟のノアもそうだったという話。
われわれ人間は宇宙人によって遺伝子操作で創り出された。

猿松猿松 2018/12/03 14:03 宮田先生

11月24日のにしのみや聞法会にて、お急ぎのところ質問にもお答えいただきありがとうございました。一番前に座っていた目ツキの悪いボウズ男でございます。

今回の聴聞でおぼろげではありますが他力というものが分かりかけてきた気がします。そこで今回のブログテーマとは違いますが、私の『領解文』の理解(領解?)を聞いていただければと思います。

私は今まで「雑行雑修自力の心をふりすてて」はある程度までは自力の作業だと思っておりました。
つまり「九十五種の邪道を出でて」「聖道門を閣きて」「雑行を抛てて」「助業を傍らにして」と、段階を経て先鋭化していって「一心に」までもっていくといった感じです。
しかし先生の「この領解文は他教他宗徒に言ったものではなく、真宗門徒に言ったもの」「ふりすててとたのみもうして候は同時」とお聞かせいただき、自力の悪あがきは必要ないと思いました。

こちらの状況状態はまったく頓着しなくてよい。老若男女善悪貧富賢愚美醜など一切関係なく、修行や念仏(もちろん自力です)もいらないと思いました。
今まで“念仏には祈願請求の意味はない”“信前であっても御恩報謝の気持ちで念仏する”と聞かされても、どうしても実感として理解できず、「後生御たすけそうらえ」と“お願い”しておりました。

そのような思いをふりすてて、ただ、ただ、“阿弥陀仏の本願の救いはこの通りである”というのを聞かせていただき、 “噫その通りでございました”と領解させていただくこと。だから聴聞が大事なんだなと思いました。

これが今回の聴聞での私の理解です。
あの後、“正定業としての称名念仏”と「たのみもうして候」の関係もお聞きしたかったのですが、それは次の機会とします。
今回の私の理解に修正点等ございましたらご指導いただければ幸いです。

yamamoyayamamoya 2018/12/05 04:29 コメントを頂き有り難うございました。返信が遅くなりすみませんでした。
https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2018/12/05/042621
こちらにエントリーで書きましたのでよろしくお願いします。

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