白鳥のめがね このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-03-29 フランケンズの『ラブコメ』

[]中野成樹(POOL-5)+フランケンズ『ラブコメ』を見た

中野成樹(POOL-5)+フランケンズ『ラブコメ』(原作/モリエール『女房学校』)

3/28(月)&3/29(火)19:30

出演=村上聡一 福田毅 野島真理 石橋志保

構成・演出=中野成樹

3/28(月)&3/29(火)19:30

出演=村上聡一 福田毅 野島真理 石橋志保

構成・演出=中野成樹

照明や音響の操作卓が、客席から見える、でも客席の真横あたりの舞台の脇に、舞台に向かってしつらえられていて、そこで操作している様子が、客席からもうかがえる。照明のスイッチを入れたり切ったりする音が客席にも響く。

舞台には、ベニヤ板そのままの二つの部屋のセットが左右対称的にしつらえられている。それが、一階と二階の部屋であることが演技で示唆される。

少ない照明は、舞台用のものではなく、家庭でも使うような照明装置だったりする。

メインの照明は、卓上のライトみたいなもののようだ。

そういう、貧しい照明は、舞台を冷ややかに照らしていて、美的な享受を妨げさえする。

喜劇としてのテンポの良さみたいなものはなく、緩慢なリズムが持続する。

場面を編集して、全体の長さを簡潔なものにしていることがうかがえる。そして、その編集の感覚みたいなものが、舞台全体を枠付けている。

翻訳劇的な文体の戯曲を、翻訳劇的なスタイルの演技で、ほぼ一様に、控えめに誇張した演技で演じていくというスタイルがベースとしてある。

丁寧な翻訳体の文章が、そのまま律儀に口にされていくような感じで、そこに人工的なある種の美しさのようなものがみなぎる瞬間もあって、それゆえにこそ、台詞を噛んでしまう役者の失敗が惜しまれもする。

その、ある種型にはまった演技のなかに、様式化をまったく離れるわけではないけれど、どこかナチュラルで日常的な感覚を湛えた演技が露呈してくる場面がある。

自分好みな無垢な娘と結婚したいという奇妙な計画を立てた男によって隔離して育てられ、恋愛というものを知らずに、自然な仕方で恋愛感情に襲われた(という筋立ての)娘が、自分の自然な感情を肯定するように迫る場面で、両足に手をまつわらせるような演技をしている(女優は石橋志保)。たとえば、そういった感情が高ぶる場面においてなされた演技は、とてもみずみずしい魅力に満ちていた。

そういう場面において、喜劇的な筋立ての中に、恋愛ドラマの定石的みたいなものが浮上してきて、おもわず、胸を打たれてしまう。

まるで、昨今の純愛ブームとか、韓流ドラマの恋を妨げる障害が繰り返されるドラマトゥルギーの原点を濃縮還元して見せられているようでもある。

しかし、そんな感興も、喜劇の筋立てが進む中で、相対化されていく。いやいや、これは、フランスの古典喜劇の上演なのだ。プロットはあくまで、幾何学的に閉ざされる。それを律儀に辿ってゆく舞台は、どこか空ろでさえある。

全体に、モリエールの喜劇的な筋立ての骨格が明確に浮かび上がってくるようなところがあって、ベルクソンの『笑い』における、喜劇的手法の分析がいかにうまくあてはまっているのかを示すように還元された喜劇を見ているようなところもある。

たとえば、舞台の進行と関係ないときに、レディースコミックを読んでいたり、立ったままよそを向いている女中役の女優の配置の仕方に、フランケンズ独特な舞台の造形化、相対化が際立って見て取れるようにも思うのだけど、そういう側面は、いわば、ささやかなノイズのような仕方で仕組まれている。

音楽の使い方にしても、宮廷を思わせるような閑雅な音楽と、現代的なポップさとが絶妙に混ぜられていたり、なんの音源かわからないけれど、フランスの田舎でおじさんがきさくに弾き語りするような曲がかけられていたりもして、仕掛けは巧妙でありながら、まったく目立たない。

フランケンズに何か派手に面白いものを求めて行った人は、なんだか肩透かしをくったかもしれないけれど、目立たない違和や齟齬がたくさん仕組まれていたことに気がついた観客は、なんだか妙なものを見たということは自覚しただろう。

たぶん、主人公の男を嘲笑したおすというのが、本来のモリエールの戯曲のねらうところであり、それをテンポ良く畳み掛けて取り違いのドラマの中で策に溺れて翻弄される様を見せるところに喜劇としての面白みがあるということになるだろうが、そのテンポを思いっきり落として、スローテンポな舞台を作ることで、喜劇的枠組みの中のドラマの側面がむしろ浮かび上がる。

しかし、そうなると、哀れな男の末路はどうなるだろう。そのへんの処理がどうもあいまいに終わっていたところが、なんともすっきりしない後味を残していて、その辺で、つかみが弱かったのは否めないのだけど、そういうあいまいな後味をあえて残したのだろうか。