おもい
日々考えることを、形に遺すということはなかなかに難しいことだなぁ。
■あざとさ
「あざとい」、って日常に使う詞じゃないけど。
松屋でうまトマハンバーグを食べながら(久々に食べたら、トマトとハンバーグという鉄板な食材を使って、何でこんなマズイモノが出来るんだろうと不思議に思うくらいまずかった。)、バックで流れる音楽を聴いて、(多分浜崎あゆみと長渕剛じゃなかろーか)なんかもう、詞の内容とか曲のつくりにがっくり。
歌詞がストレート、というよりは寝て起きて作文(って言って伝わるだろうか)みたいな垂れ流し度合いや、演歌?(と呼ぶには演歌に失礼であるが)みたいなドロドロの情念のかたまりを、なんの加工もせずに投げつけるだけの内容に、心底寒気を覚えました。質、という詞を使うのをためらうほど酷い。
いや、本題はそこじゃなくて、
先日とあるライブに行っていろいろ考えました。
結論から言うと、椎名林檎は好かんというところに行ってしまいそうなのですが、
彼女の声や詞や唄からあふれ出るあのあざとさはなんであろうと。
いや、好きな曲もあるんですよ。「茜さす 帰路照らされど」なんかはいいと思うけど。
「能動的三分間」なんかきくと、あー、事変から林檎はずしてくれないかなぁと思うのです。
お前は立って、デューゼンバーグを空弾きしておればよい。
歌は長岡 亮介(浮雲)と伊澤啓太郎(伊澤一葉)でいいじゃないかと。
いつも思うのは彼女は何を歌い、何を表現したいのだろうと。
「椎名林檎」というと、「こんな感じ」というパブリックイメージはあるが、あの表面的な「こんな感じ」を突き抜けて、内部から伝わるものが私には感じられないのだよね。
目に映る姿以上のもの、聞こえる詞以上のものがない。
外見はデコラティブだが、中身はさほどないのではないか、と思ってしまう。なんとなくだ。
比較すべきは、たとえばキリンジ。
彼らの楽曲はニオイがない。
一見して何もないように見える。
その実、聞けば変なコードや進行や詞を使っている。よくよく聞けばきくほど、得体の知れないものがぞわぞわと染み出してくる。
余程にあざとい。罠にかかった気分になる。
Drifterという曲がある。今年bank bandという輩が原曲レイプといっても過言でないカバーをしたので、知っている人もいるかと思う。
この曲、堀込泰行は淡々と歌う。実に淡々と。
たとえ鬱が夜更けに目覚めて、けだもののように襲いかかろうとも
祈りを鴉が引き裂いて、流れ弾の雨が降り注ごうとも
この街の空の下 あなたが居るかぎり僕は逃げない
サビの一部を抜粋したが、ぜひ検索して全部読んでほしい。
プラスなのかマイナスなのか、よくわからんキチガイのような歌詞だ。
しかし、曲を聞く。
淡々と場面が移っていく。
そのうちその淡々とした空気と、歌詞のキチガイさと、曲の美しさが絶妙に来る。
終わってbank band版を聞く。
むりやりラーメン二郎くわされた気分になる。しかも、焼肉を食べた後にむりやり食う的な。
まぁ、元々桜井氏の声があまり好みでないので、余計にそう思うだけかもしれない。
それはおいておいて、だ。
キチガイなまでに淡々と歌うキリンジというか堀込泰行だが、love is on lineという曲でこれまたやらかしてくれる。
びっくりするくらいちゃんと歌うんだ。強弱をつけて。
ひどい。だまされた。お前はこんな感情的に歌うやつじゃない。
と、思うほどに私は裏切られた気がした。もちろんいい意味で。
推理小説の伏線のように、罠がそこここにある。
こんなあざとい奴等はいない。なんつー兄弟だ。腹が立つ。
というお話でした。ちゃんちゃん。
※半月くらい寝かせてしまったネタであるが、鮮度と勢いが全くない。
その瞬間を真空パックする技術がほしいね、ほんとに。