gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

ママ、雲が動いてる

少し風の強い中、家族3人で散歩道を歩いていると、すれ違った母子連れの5歳くらいの子がふと転んで、仰向けになったときにつぶやいた。

 

「ママ、見て。雲が動いてる。」

 

彼はビルと木々の間に覗く空を見て、少し経ってから立ち上がった。

 

幼い頃の陽向みたいだ、と思った。

 

今日の陽向は、一生懸命歩く。その一生懸命を、親二人で一生懸命支える。

 

ぼくらには、希望しかない。

 

メキシコの焼き芋屋さん

南房総で焼き芋屋さんをやっている伊原伸尭くん(ノブ)が明日メキシコへ渡る。

 

メキシコで焼き芋屋さんを始めるそうだ。体一つでワイルドな国へ行って、焼き芋を焼いて生きてみる。

 

ぼくの20代は、ワイルドな国へ行って、稼ごうとは思えないくらい格差があった。日本の競争力も極端に下がって、今はワイルドな国から日本へ出稼ぎに来た人たちは確実に減るだろう。

 

格差なんてない方がいい。格差がなくなっても、ワイルドな国はワイルドな国のままのようだ。かつてのつまらない先進国のようには変わっていないらしい。

 

そのことがすばらしい。

 

今後、日本もワイルドさを取り戻せるならすばらしい。

 

3年ほど海外で自分を試して、日本に帰ったら高校の先生になって子供たちに夢を与えたい、とのこと。

 

彼が子供たちの夢を引っ張っていく未来が愉しみだ。

 

そして、すべての大人がそのように在る時代へ向かおう。

 

初めてできたこと

陽向が何かを初めてできたとき、家族で大喜びをするが、ほとんどの場合、その後すぐに2回目の成功を見ることはない。

 

ならば、たまたまできただけなのか、といえば、そういうわけではない。

 

初めてやるときには、「こうしよう」という既成概念から来る具体的な意図がない。だが、2回目以降は具体的な意図が働く。そうすると、陽向は途端に手が止まってしまう。

 

陽向は今のところ、予定調和に対応不可能な人なのだ。

 

試行錯誤でやり直す場合も、1回目がいちばんよかった、ということはとても多い。

 

the first takeという音楽番組が受けるのは、編集なしの価値ということもあるが、1回目は2回目以降とは決定的に違う心の状態があるからだろう。

 

そこにいる理由

今ぼくがつくりたいのはどんな空間か?

 

それは、どんなときの自分でも「そこにいる理由」がある空間だ

 

街を歩いて、自分にとってそこにいる理由がある空間はとても少ない。

 

敷居が低いといえば、ファーストフードがあるが、一般に誰でも入れるのが、そこにいる理由というわけでもない。

 

(つづく)

 

どんな祭りを繰り広げるか

5月8日の投稿

https://gridframe.hatenadiary.jp/entry/2024/05/08/000000

を読んでいただいて、海野次郎さんからメッセージをいただいた。

 

「祭りが必要なんだという着眼が良いです!
 どんな祭りを繰り広げるかが、問われますが、貧血気味の頭に血が上るような光景を出現させたいものです。」

 

確かに今の日本は誰もが貧血気味の頭に陥りがちなのを感じる。

 

血がたぎるような光景。これをめざす。

粗暴

少し前に見た夢の話である。

 

夢に芸能人が登場することはめったにないが、場所はテレビ局でディレクターと思しき女性と話をしていると、所ジョージが目の前に坐って、おもむろにこう言った。

 

「ホームページとか見せてもらいましたが、いやぁ粗暴ですねーっ」と。

 

粗暴か・・・ん・・・確かに。・・・とか考えていたら、物音かなんかがしたのか、目が覚めた。所ジョージさん、さようなら。

 

「たぶん続きを見たら、誉め言葉なんだろうな」と思いつつ、夢で見たということは自分がGRIDFRAMEの空間を粗暴だと思っているんだな、と新鮮な気持ちになった。

 

よく考えてみると、ぼくの遠慮とは、粗暴を回避しようとすることだ、という結論に行き着いた。「本当は、もっと粗暴な方がいい、と思っているんだね」と自分に問いかけてみたら、「そうだ」という声がこだまのように聴こえてきた。

 

粗野ではない。粗野では足りないのだ。粗暴に行き着くように気合を入れる。

 

確実な前進

陽向はやはり昨日は一昨日ほどよくはなかった。

 

けれど、今日は一昨日よりも確実な前進を見せた。

 

彼は、ぼくとの押し相撲遊びでぼくを押すことができたのだ。4月の初めまで全力でぼくを押していたのに、4月の後半には全く押せなくなっていた。彼が押すことができた瞬間、ぼくら3人は歓喜の声を上げた。何よりも彼自身がそのときに輝くような笑顔を見せた。

 

その後、後ろから手を添えられなくても、一人で3キロほど走ることができたのだ。最後は母親がついていけないくらいのスピードで。

 

ゴールして彼も一瞬泣きそうになった。こんなに復活した自分を見れるとは自分でも想像していなかったんだろう。

 

その後、彼は一昨日以上に話をし、そして、久しぶりに歌を歌った。

 

自分で自分を愉しむ、ということができる日が近いことを証明してくれた。

 

三寒四温は続くだろうが、確実な前進を感じさせるに十分な一日だった。

 

 

 

復活

自律神経失調症により、体が自由に動かせなくなっていた陽向は、5月2日からのキャンプの前半には、体に力が入りすぎて硬直して動けない状態だったが、キャンプから帰ってきた6日には、逆に体の力が入らないために動けない状態に入った。

 

これは傍から見れば、より不自由になったように見えるだろうが、体の力が入った状態が基本で力を抜くことができないよりも、体の力が入らない状態が基本で力を入れることができない状態の方が、新たに整理された命令系統を構築できるため、彼にとっては大きな前進だと見ている。

 

彼の意識としても、混乱することがなくなる。表情はふっきれたように柔らかくなった。しかし、彼が話すことはほとんどない。笑うこともとても少ない。

 

どのくらいのスピードで命令系統が復活していくかどうか、は誰にもわからないが、1週間で別の人間になるくらいのスピードで変化している陽向だから、良い方向へ向き始めれば、復活も早いだろう、と予想された。

 

安心して彼の命令系統が復活していくように、平和な世界をつくることがぼくらの役目だ。

 

そんな中、彼を押して2キロ以上走らせることができた。そこで、なにかがつながったのか、その後、彼は急に話をし始めた。こちらが言うことも普通に理解できる。

 

1か月半ほど、こんなに話ができたことはなかったので驚く。母親は涙を流しながら「明日もこんなに話せる?」と訊く。彼は「話せるよ」と即答するが、今までの経験でリニアに良くなっていくことはまずありえない。いつも冬から春になるときの三寒四温だ。

 

どんな動きにも介助を必要とした彼は、今日はまるで平気な顔をして一人で動く。「レナードの朝」という映画があった。恍惚の人状態のレナードが数日間だけまるで普通の人のように話したり動いたりできるのだ。

 

彼はレナードではない。ぼくは断言できる。でも三寒四温だ。明日は今日のようにはいかないだろう。周りにできることは、平和な世界を保持することだけだ。

 

奥能登の未来像について~焦土/スクラップヤード/祭り

松波酒造のある能登町松波を後にして、火災によって広大な焦土となった輪島朝市へ向かいました。

焦土と呼ばれる場所をこの目で見たことはぼくの生涯でたぶん一度もありません。テレビや映画ではたくさん見てきました。この写真をメールすると、妻から「ガザかと思った」と返事。正直な話、ぼくもそこに佇むと、胸が圧迫されて過呼吸になっているのを感じました。

でも、ひとことで言ってしまえば、混沌。

空間をつくる人間として、この風景を未来へ生かす方法はないか?

ぼくはその焦土を目の前にして、それに似ている混沌の風景について考えていました。

ぼくはかつて米国バッファローで建築の学生だった頃、スクラップヤードに夢中になったことがあります。そこへ建築模型の材料を探しに行っているうちに、そこを「誰が来てもおかしくない」空間だと感じ始めたのです。

捨てられた鉄スクラップは、ベンツだったりファミリーカーだったりした巷での価値を失い、1キロ数円の鉄の塊と見なされ、どれも機械によって叩かれたり、引きずられたりして、唯一無二の姿で野ざらしにされて重なり合っています。ぼくは建築の学生としてスクラップの山からプロジェクトに合うものを探すのです。

それは、建築の学生としては宝の山でした。しかし同時に、商品としてつくられたモノたちが自然に還った森のような場所でもありました。だから、探そうとする心から離れても、自分を開放することができる自由な場所なのです。

「誰が来てもおかしくない」場所と感じた理由はここにあるのだと思います。

では、この焦土をスクラップヤードに変換することができないか?

写真に撮れば、さらにはサラサラとスケッチすれば、焦土もスクラップヤードも変わりありません。つまり、物理的には何もすることはありません。混沌の行き過ぎを調整するために、写真のフレーミング効果を発揮するGRIDFRAMEでレイヤーをつくれば、愉しい場所へ変換できる可能性があると思います。

問題は、最初にぼくが感じた過呼吸になるような胸の圧迫の方です。これを取り払うためには、物語性を変換する必要があります。

SOTOCHIKU素材としては物語性を継承することを目標とし、現地の焦土の再生には物語性を変換することを目標としなければならない、という逆方向のベクトルが見えてきます。

そこで、もう一つ空間のモチーフとして考えたいのが、「祭り」です。これは、人々が望んで集まる「混沌」の空間です。これも物理的には問題なく変換が可能だと思います。元々、奥能登はキリコ祭りで有名だと聞きます。

キリコ祭りは、夏の約3ヶ月間、七尾市輪島市珠洲市志賀町穴水町能登町の3市3町合計約200もの地区で行われる壮大な祭りで、キリコと呼ばれる巨大な御神灯が担ぎ出され、神輿のお供をしながら夜を徹して町を練り歩くそうです。その幕開けを飾るのが「宇出津(うしつ)のあばれ祭り」で、江戸時代、祭礼を行ったことで悪疫病者が救われたため、喜んだ地元の人がキリコを担いで、神社に詣でたのが起源とされているそうです。

このように、祭りはその発祥から地域が困難から立ち直ることに大きく関係しており、今回の能登の復興も、物理的にスクラップ&ビルドのカタチをとらないで経済的な消耗を抑えつつ、物語性を地鎮や鎮魂に変換することで、祭りによって人を集めていくことを一つの軸に定めてはどうでしょうか。

穴水市でボランティアを束ねる活動をされているピカリンさんから「能登の復興を遊び倒すくらいの勢いで日々を楽しみます」というメッセージをいただきました。復興を推し進めるのに必要なのは、この精神性以外にないだろう、と心から賛同します。