「新たな枠組み」の導入は危険

厚生労働省の「職場におけるメンタルヘルス対策」として、「新たな枠組み」が導入されようとしています。
厚生労働省による「自殺・うつ病対策プロジェクトチーム」によって、一昨年5月にまとめられた報告書の中で、職場におけるメンタルヘルス対策を重点のひとつとし、メンタルヘルス不調者の把握と把握後の対策について検討すべきとされたことから、検討が始められました。
(「職場におけるメンタルヘルス対策検討会」報告
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000q5re.html)
その中で、「新たな枠組み」として、一般健康診断で医師がメンタルヘルス不調の労働者を把握し、その労働者が希望すれば産業医などの医師への面談を実施するという仕組みが提案されました。
しかし、この「新たな枠組み」については、労働者の立場から考えるとあまり現実的ではなく、現在にある長時間労働を行う労働者が希望すれば医師の面談を行うとする仕組みと同じく、実効性のないものとなる可能性が高いです。
むしろ、労働者にとってはマイナスに働く可能性があります。
全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局といじめメンタルヘルス労働者支援センターは、この新たな枠組みについて、厚生労働省に要望を送り、省庁交渉も行いました。
どのような問題があるのか、いじめメンタルヘルス労働者支援センター代表の千葉茂氏に書いていただいた文章を以下に紹介します。
関西労働者安全センター機関誌「関西労災職業病2012年1月号より」


「新たな枠組み」の導入は危険

千葉茂(いじめメンタルヘルス労働者支援センター)


ストレスチェックの具体例

労働相談の中から、いわゆるストレスチェックのスクリーニングに関連した具体例をあげてみよう。
【例1】
当該は定期健康診断の問診の時に精神的体調不良を看護師に訴えた。看護師からは何点かのアドバイスを受けた。しかしその後に異業種への異動を含む転勤が行われ、体調を悪化させて休職せざるをえなくなった。
無理な異動をさせたことは安全配慮義務違反だとして団体交渉申入。団交拒否で労働委員会への不当労働行為救済申立に至った。当該は、看護師に体調不良を伝えたのだから会社は知っているはずと主張。会社は掌握していないと反論した。
体調不良を会社に伝えることについて当該の要請や看護師からの問いかけはなかった。
当該の期待とは逆に、看護師は個人情報を漏らさなかった。
【例2】
大手企業で精神的体調不良を隠して働いているがどうしたらいいかと相談に来た。
直後に部長に昇格。人事部から部下の評価のための資料を渡された。その中には1人ひとりの入社以来の定期健康診断結果を含めた健康状態の記録があった。
当該は、体調不良を訴えたり、通院したら、自分もこのように記録されるのかと思うと体調がさらに悪化した。休養するか、退職するかの判断を迫られ、結局退職を選択。「会社からいったん塗られたペンキは退職まで落ちない」という思いがそうさせた。
個人情報が、当該が知らないところで管理されている。
【例3】
つい最近の相談。現在の部署は間もなく閉鎖される。今後の異動などを含む処遇を巡りお互いが牽制しあい、いじめが起きている。ストレスが募り体調不良に陥ったので上司に相談するとストレスチェックを強制された。さらにうつ病の可能性があるということで病院に行かされ、診断書を提出して休職させられそうになった。これまで、休職した者は自動的に退職になっている。
ストレスチェックが悪用されている。
このような状況を見ると、現在、労働者の側に立ったスクリーニングによるストレスチェックが機能しているとは言えないし今後に不安を覚えるのも当然である。

▼労働者は正直に答えない

8月17日付の『朝日新聞』に、今年度から東京都教育委員会は公立学校の全教職員を対象に問診票によるストレス度合いを調べる検査を始めたという記事が載った。年1回、健康診断に合わせて実施し、精神疾患になる危険性がある場合は病院での受診や臨床心理士への相談を勧める。
目的は早期発見と予防だという。2007年度に精神疾患で休職した416人を調査したら、初めて受診したのが休職する1か月前という者が全体の7割を占めた。このことから「休職が避けられない状態になるまで病気に気付かない人が多い。早期発見で休職者を減らしたい」という。

この記事を、現在労働者が置かれている状態から捉え返してみよう。
労働者はなかなか体調不良を訴えない。就労不能の状態になるまで我慢して働かざるを得ないとうのが実態である。またいったん休職すると復職するのがむずかしく、復職しても再度休職に至る者が多くいるということを知っているからである。
コメントを求められて教育学専門の大学教授は「休職者を減らすには職場環境に余裕を持たせる対策が不可欠だ」と指摘する。
「回答時間は1分程度で、短時間で答えることで『本音』を引き出す狙いがある」という。
労働者は、問診票が自分にどのような影響をもたらすかと捉え返して「加減」をする。健康を保持するためにではなく、正直に回答すると処遇に影響するという判断などの「自己防衛」手段である。だから、競争が激しい部署、職階、年齢層こそ症状を軽く答える。
「健康を守る」ための手段と「自己の生活を維持する」手段が対抗している現実がある。
実施者が「短時間で答えることで『本音』」の発言は、このことを承知しているからだが、労働者の「自己防衛」本能は騙されない。

▼いわゆる「新たな枠組み」を法案化

10月24日、厚生労働省は、「労働安全衛生法の一部を改正する法律案要綱」を労働政策審議会に諮問し、審議会から答申を受けたので法改正作業に入ると発表した。
要綱の項目には「第一 精神的健康の状態を把握するための検査等」とあり、具体的には
「・医師又は保健師による労働者の精神的健康の状況を把握するための検査を行うことを事業者に義務づけます。
・検査の結果は、検査を行った医師又は保健師から労働者に直接通知されます。医師又は保健師は労働者の同意を得ずに検査結果を事業者に提供することはできません。
・検査結果を通知された労働者が面接指導を申し出たときは、事業者は医師による面接指導を実施しなければなりません。」
とある。
定期健康診断において、労働者にスクリーニングによるストレスチェックが法律で義務づけられる。いわゆる「新たな枠組み」の具体的推進である。

うつ病に罹患させないためにやるべきことがある

この流れを作ったのは、昨年5月28日付で「厚生労働省 自殺・うつ病等対策プロジェクトチーム」が提出した『誰もが安心して生きられる、温かい社会づくりを目指して 〜厚生労働省における自殺・うつ病等への対策〜』の「報告書」。
その中に、
「(3)職場におけるメンタルヘルス不調者の把握及び対応
労働安全衛生法に基づく定期健康診断において、労働者が不利益を被らないよう配慮しつつ、効果的にメンタルヘルス不調者を把握する方法について検討する。
また、メンタルヘルス不調者の把握後、事業者による労働時間の短縮、作業転換、休業、職場復帰等の対応が 適切に行われるよう、メンタルヘルスの専門家と産業医を有する外部機関の活用、産業医の選任義務のない中小規模事業場における医師の確保に関する制度等について検討する。」
とある。
しかし「報告書」は、その後に
「(5)長時間労働の抑制等に向けた働き方の見直しの促進
今後の景気回復期も含め、長時間労働を抑制し、年次有給休暇の取得促進を図るため、労働時間等の設定改善に向けた環境整備を推進する。
また、パワハラの防止等職場における良好な人間関係の実現に向けた労使の取組を支援する。」
とある。
順序が逆で、本当に改善を期待するならば(5)から議論を開始し、取り組む必要がある。長時間労働対策は緊急課題であり、解決に向けた大きな一歩になる。
しかし「長時間労働の抑制」や「労働者に不利益が及ばないよう注意する」の文言は他の「報告書」にも常に盛り込まれるが、厚労省においては枕詞のようにしか扱われていない。

NPO法人自殺対策支援センター・ライフリンクは、2008年7月に、305人の亡くなられた方について、その遺族の方々から、どうやって自殺したのか、自殺に追い込まれていったのかの聞き取り調査をし、その中からある一定の規則性が見えてきたという「実態調査」を報告した。
1人の自殺の背景には平均4つの「危機要因」があり、ある要因が発生し、それがまた別の要因を引き起こし、連鎖している。自殺は言わば「危機経路」と呼ばれるプロセスで起きている。例えば、被雇用者の事例としては
1 配置転換→過労+職場の人間関係→うつ病→自殺
2 昇進→過労→仕事の失敗→職場の人間関係→自殺
3 職場のいじめ→うつ病→自殺
などが挙げられている。
自殺対策にはこの連鎖を断ち切ることがまず必要で、自殺・うつ病等対策プロジェクトチームはそれを踏まえて論議をしたはずだった。しかし厚労省は「うつ病」罹患の手前のプロセスの問題についての対策を練ろうとはしない。

メンタルヘルスケア対策に「自己責任」を導入

自殺・うつ病等対策プロジェクトチームの「報告書」はこれまでの厚労省の職場におけるメンタルヘルス対策を転換させるものとなった。
これまでは早期発見と適切な対応に重点を置いていた。なかでも使用者や管理職に「気づき」を促し、早期に気づいて対応することが使用者の安全配慮義務となっていた。そのため使用者側が開催するメンタルヘルスケア研修会などでは、チェック表を基に部下の一挙手一投足を監視し、記録を付けることを義務付けた。
労災申請や損害賠償訴訟などで使用者の安全配慮義務違反を問われた時に不調を発見することはできなかったと反論できる資料作りが労働安全衛生管理の基本になっていた。
しかし職場のストレッサーを取り除くことをしないで「気づき」だけで安全配慮義務を果たしたことにはならないし、体調不良者が減少することはない。
 
昨年12月22日、労働政策審査会安全衛生分科会は「建議書」を提出した。その中に「医師が労働者のストレスに関連する症状・不調を確認し、その結果を受けた労働者が事業者に対し医師による面接の申し出を行った場合には、現行の長時間労働者に対する医師による面接指導制度と同様に、事業者が医師による面接指導及び医師からの意見聴取等を行うことを事業者の義務とする」という「新たな枠組み」が記載された。
この「新たな枠組み」は労働者1人ひとりに、上から網をかけて体調不調を「気づかせる」という方法である。「気づかされ」ても医師による面接の申し出を行わなかった場合は、使用者の安全配慮義務は免責され、労働者の自己責任が問われかねない。
使用者の本音は、労災申請や損害賠償訴訟の答弁書で、「健康診断時までは健康に問題がなかった」と主張するために、上から強制的に網かけをして労働者1人ひとりの健康情報を管理したくてしょうがないのだ。
現にこの1年間ぐらいは、精神疾患に罹患して提訴した損害賠償訴訟において、勝訴しても自己責任が問われて賃金等が60%から80%しか認められない判決が続いている。

▼安全衛生対策の予防、互助への転換を

労働者は体調不良を自覚してもなかなか上司に訴えない。秘密を守ってくれる保健室にこっそり行ったり、社外の医師に通院している。我慢できなくなって訴えたり、体調不良がばれるとレッテルが張られて戦力外通告、排除に繋がる実態を目の当たりにしている。体調が回復しても期待されず、不利益な取り扱いを受けることを肌身で感じている。
労働者は「新たな枠組み」の本質に気付いたら、保健室が使用者の管理強化の一環に組み込まれていると敏感に受け止める。体調不良の対処方法について社外に相談することになる。その結果、出社拒否症に陥るなどの少なくない数の労働者が登場することが懸念される。
一昨年11月の「自殺防止月間」のスローガンは「お父さん 眠れていますか」。
ここにも「スクリーニング」が役立つと思い込んでいる厚労省の基本姿勢が見える。
家族によるお父さんへの「スクリーニング」は、お父さんは家族からも監視される対象とされている。「会社人間」のお父さんは、自らの選択ではなく家族からも「会社人間」を強制させられている。
何から何まで管理しようとする社会風土に慣らされきると誰もスローガンに疑問を感じない。

今労働者が要望しているのは、過重労働等の解消とともに、労働者1人ひとりを対象とした業務量の調整や職場環境改善、そして体調不良者の保護などを行う職場の雰囲気の確立などである。
使用者は、労働者の健康情報の管理の前に改善しなければならない課題がたくさんある。定期検診における医師による労働者の体調不良確認の前に、上司が業務を軽減し、体調不良が経度の段階でも休養を勧め、しかも安心してそうできる制度の確立、雇用継続の保障などが必要である。
職場の安全衛生対策を「監視」、「管理」から予防、互助への転換こそが早急に取り組むべき課題である。
今回の「労働安全衛生法」の改訂は労働者の要望に逆行している。
(IMCのホームページの11月4日付「活動報告」〔http://ijimemakenai.blog84.fc2.com/blog-date-20111104.html〕に、『厚労省はずるい』というタイトルでいわゆる「新たな枠組み」について書いたことがきっかけで原稿依頼がありました。内容は極力ダブらないようにしました。いわば「活動報告」のイントロダクションです。合わせて読んでもらえると助かります。)


以上、すこし長いですが大変分かりやすく問題点を指摘していると思います。

さて、先日おいしいお料理を作っていただいた里井さんですが、
実は絵もお上手なんです。
企画のイラストも描いていただきました。
ひとつ紹介します。