今川小路と龍閑川 2010年11月7日 東京時層散歩

神田から東京に向かって線路沿いを南下すると

ガード下の周囲から浮いた、というか沈んだ、さびれた飲み屋街にあたる。

今川小路


このガード下の通りの名前は今川小路、

日が出てるうちとはいえ寂れすぎとおもわれるかもしれない。

地図も確認しておこう。


大きな地図で見る


小路の反対側にもお店があった。

今川小路 解体後

いまは更地で背後の古いレンガがすがたをみせるのみ。

この小路に立ち退き・取り壊しのはなしがでてると噂にきいたのは1年くらいまえのこと。


5m先では東北縦貫線が建設工事中。

ちなみにこのあたりでは東京駅が近づいて、

プラットフォームをはさみ込む分だけ鉄道用地が横方向にひろがっている。

神田駅付近では重層部として高架のうえに高架をたてているところだったのが

東京方アプローチ部の単独の高架に変化してきている。(特集「新幹線直上に架けるJR東北縦貫線」

龍閑川跡 東北縦貫線


そういえば東北縦貫線をみたとき最後にでくわした緑色の巨大機械は架設機というらしい、

東京方アプローチ部だとあれを入れる敷地が確保できるというわけだ。


さて、今川小路は周囲からみて特異な場所なのだが

戦前の地図を参照するとこの場所には川が流れていた。

大手町で日本橋川からわかれて東へ馬喰町方面にむかう直線状の掘割で、名前を龍閑川という。

龍閑川 昭和戦前期


高度成長期までには川がなくなっている。

龍閑川 高度成長前夜


川跡を東にたどって中央通りとぶつかる場所に

むかし今川橋という橋がかかっていたことをつげる碑がある。

東京には江戸時代に発達した水路が埋められる大きな契機が3つあって

ひとつは関東大震災、ひとつは東京大空襲、さいごに東京オリンピック

碑によると龍閑川は1950年だから、震災復興関連だろうか。

埋められた直後に今川小路がうまれたとかんがえると…興味が尽きない。


今川橋跡からふりかえって西側の線路方向をみる。

龍閑川跡 今川橋以西


こんどは東側をみる。

龍閑川跡 今川橋以東


猥雑な今川小路がなくなることでここに川があったことを感じる手掛かりがひとつ減るわけだけれど、

ある視点では龍閑川は強烈に記憶されている。

このビルの隙間のほそい通りを境にして、北側が千代田区、南側が中央区