右、斜め45度

右斜め45度は、「Done is better than perfect!」の日本語訳のつもり。進んでいれば良しとする精神を大事にしたい。

ピカソは偉大なるマーケターであった!『ピカソは本当に偉いのか?』西岡文彦

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)

あんな絵は誰だって描ける、なんていわれる代名詞がピカソ
みんな、一見、子供の落書きのように見えるからこそ嘯くわけですが、
実は、その異様さに圧倒されており「こんな絵、かけねーよ」って内心思っているという奇妙な構造が成り立ってます。

私が唾を吐きは偉大な芸術として売られるだろう。
91歳でその生涯を閉じたピカソが手元に残した作品は7万点を超え、評価額は7500億円に上る。

分かりにくいものが何故評価されるのか?その秘密に迫ります。
この本を読むと、「人から評価されるにはどうしたらよいか」がよく分かります。
まず、驚いたのがこの一節。

作品のイメージは巨匠シャヴァンヌの画風にロートレックゴーギャンといった当時既に一定の評価を確立していた後期印象派の作風をブレンドしたものであくまで基本は写実にあった。批評家の中には、そのあまりに巧みな折衷ぶりに、ピカソが器用貧乏に終わることを危惧する向きさえあった。

つまり、あの作風は完全に戦略的に作り上げたものであるということ。
”衣食”足りてから、あの作風を作り上げたわけです。
では、何が戦略のキモであったのか?


まず、絵をとりまく環境が彼にマッチしていました。
絵そのものが何かを訴えれば良い時代になってきたわけです。

1.絵を描くことのゴールが美術館に入ることになった

教会を飾る彫刻や祭壇画はイエスキリストや聖母マリアや聖人の一場面などを描くことを通して人々に神の教えを伝えるものだった。また王宮を飾る壁画や症状は王家の由来を物語る歴史の一場面や黄色の姿を描くことを通して人々に王の権威を伝えるものだった。教会美術の授業を激減させた16世紀の宗教改革に続いて18世紀末のフランス革命は王政を終わらせ王室美術というものの授業も激減させる。そしてそれまで王室に収蔵されていた美術品はルーブル宮殿に映され市民を啓蒙するための美術品として一般に公開されることになる。

美術館に入ることを目的に製作され始めた近代以降の絵画では絵画の有り様を絵画そのもので物語る自分語り性や前衛性が作品の価値を決めるようになった。

2.写真との差別化を迫られた

近代絵画は、写実的な描写に置いて絶対に太刀打ちできない写真と言う技術の出現により、より人間的な絵画を模索する必要に迫られた。印象派の作品が画家の手の痕跡(タッチ)を強調していたのはそのため。さらに、後期印象派は、このタッチの各人が独自に工夫することで個性の表明としてのスタイルつまりは形式というものを確立した。


そのなかで、彼の天才的な人心掌握術を発揮し、美術館に入ることをゴールとしたときに、その決定権を握る画商たちの心を完全に握ったのです。

肖像画を書くことを通じて画商との関係を強化するという作戦も徹底していた。キュビズムの絵を売ってくれる画商の肖像は、キュビズムの手法で書き、印象派の販売で定評のある合唱には印象が風の作品を書いて渡すばかりかその画商や家族の肖像まで印象派ふうに書いているのです。


自分の感情をあらわにすることにたけていた。何の遠慮もなく自分の不機嫌機嫌をあらわにして周囲の人々を翻弄して顧みないところが多分にある。ピカソが愛人に別の愛人の顔を描いた餅を見せたり別の愛人からの手紙を読むように仕向けたりと関係を結んだ女性の嫉妬を喚起することに関して必要だった事は前にも書いたとおりですがこうした子供じみた不誠実な小細工なども時として破壊的なまでの効力を発揮することになる。もともと誠実な人であればあるほどかえって親密な関係を結んだ人相手の不誠実な言動には気づきやすいですからこうした不誠実な小細工による心理ゲームには他人との敵対的ライバル関係を望まない誠実な性格の持ち主の方がむしろ巻き込まれやすい。

画商や美術館の独占的な権利をめぐって恋愛関係にも似た競合関係を引き起こし相手を着目 幻惑するのが常でした。予測不可能の言動で相手を幻惑し、事前の対策を講じさせないというのがピカソの画商に対する戦略でした。そのためのシュミレーションを欠かさなかった。

その結果、キュビズムが生まれたと考えて良いと思います。
つまり、ピカソが、破壊的、前衛的な作風なのは、時代が求めていたからに他ならないわけです。
それは下記のやり取りでも分かります。つまり、ピカソがいまいたとしたら、全く違う作風になっていたかもしれません。

新興ブルジョア生活様式は革命で追放したはずの王侯貴族の俗悪な模倣と堕しており、その悪趣味への嫌悪感から、清貧のボヘミアンはむしろ精神的な貴族とみなされることになりました。金銭や権力では決して手に入れることのできない魂の純潔や精神の継続性が新しい時代の英雄の証となり隠して芸術家たちはブルジョワ的な事前に満ちた社会の閉塞感に立ち向かう意志とみなされることになります。砂利やピカソの暴力的破壊的な表現が、前衛的な芸術家や先鋭的な知識人の賞賛を集めたのは、その爆発的なインパクトがブルジョワ的な偽善に下される鉄槌と映ったから。

そう考えると、とても奇妙な入れ子構造に気付きます。
絵画の目標が美術館入りになった際に、「世界を独自の視点から捉えること(物語性、自己言及性)」が求められるようになったわけですが、実はピカソは「みんなが望んでいる”破壊”を描画したに過ぎない=完全に自分の内面から湧き出た表現ではない」ということです。

ピカソは偉大なるマーケターであった と僕は結論づけています。