人間は現実からいつも目を背ける、でもその目の背け方が時代によって変わる『不可能性の時代』
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/04/22
- メディア: 新書
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現実は、反現実が規定されて、初めて、その逆としての現実が浮き彫りになる。その反現実ぷりは、理想→虚構→不可能と、その反現実さを増していってる。感じたのは、現実への逃避と極端な虚構化が進んだ結果、虚構と現実を区別しないようなモノが流行りつつあるということだ。その出自は現実を虚構化しようというもの(ノンアルコールビール・テラスハウスなど)と、虚構を現実化しようというもの(バーチャルリアリティ)があり、それに取り組んでる人も技術もちがうけど、結果、山頂で交わりつつあるのが面白い。
- 虚構の時代は、高度消費社会。商品がその有用性から独立して、情報的差異によって消費されるようになる。ディズニーランドしかり、コピーライターしかり、オタクしかり。
- 次の時代、不可能性の時代は、「現実への逃避」と「極端な虚構化」の両方が裏表のような関係で進んでいる。
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- 普段の生活では気の弱い男がサイバースペースでは激しく暴力的なことがよくある。どちらが本当の自分か?通常は、スクリーン上の暴力的な姿は虚構の姿と捉える。だが、内向的な男の仮面の下に隠れていた真の自己が現れ、他者に露出したとも捉えらえる。バーチャルリアリティなど、コミュニケーションの直接性が進んでいるきもする。
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- 他者と直接的に繋がりを求める(現実への逃避)ほど、他者の中の自分とは違う部分(他者を他者足らしめてる部分)が浮き彫りになり(極端な虚構化の結果)、苦しめる。求めているんだけど、嫌悪するという両義性。他者を嫌いになる理由は匂いというのも面白い。確かに、二次元には匂いはない。
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- Mによる連続幼女殺人事件は、自分が自分であった幸せだった幼い日の自分を幼女に投影し、関係の直接性を実感するわけだ。しばらくすると帰りたいなどMの意に反する自己主張(他者の他者部分)を始めると、幼女との甘い生活を引き裂かれたと感じて、殺してしまう。
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- カフェイン抜きコーヒーやノンアルコールビールなどは、他者性なしの他者の最たるものではないか。他者はほしい、ただし、他者ではない限りで。他者性なしの他者を求めると引きこもりになる。引きこもりは、関係性を求めていないのではなく、狂おしいほど求めているのである。
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- 恋愛もののアニメにおいて、幼馴染という設定が多いのは、生まれたときから近くに住み仲良くしているという宿命性が他者性なしの他者の典型的例ではないか。
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