一年前と変わってない

【軽症】
自覚はないかも知れませんが、鬱的な傾向があるようです。全く自覚がない場合でも「仮面鬱」の可能性があります。普段は元気でありながら、ちょっとしたことで落ち込むことがある場合は要注意です。「今の感情」をちゃんと生きられているか、内面を洞察してみましょう。


鬱診断(http://www.yokohama-shinri.com/check/utsu.htm)

うわーーーーー

すごい久しぶり!!!

何年ぶり??

ほぼ一年ぶり!!!

高校1年生ももうすぐ終わりです。

もうこのブログ見てる人少ないだろうからいろいろ言えるね〜!!
まず、ほんと部活辛かった!!一年間ほんと頑張った!!!!疲れた!!!!あと一ヶ月で先輩かぁ・・・・・・。

ジョジョにハマった!!!!
すごくはまった!!!!!4月からまた始まるから楽しみ!!!!

テストめちゃ近い!!!でも頑張る!!いける!!!ツイ禁してるし!!


わたし頑張るよー!!!人様にどれだけクズと言われようとカスと言われようとゴミと言われようと私は私です頑張ったんです!!!!頑張ってるんです!!!!

今回のテスト良い点とってやる!!!(昨日はほぼ睡眠に費やしちゃったけどww)

ではまた会う日まで!!!

しねるww

レポートなっげぇwwwww


みなさんは今日本が抱えている領土問題についてどのようなことを知っていますか?
例えば、韓国が竹島の領有権を主張し始めたのは何がきっかけなのでしょうか。
竹島問題>
まず、両国の主張を比べてみたいと思います。
(日本の意見)
1905年に閣議決定竹島島根県編入することを決めた。
だが、1952年に韓国が独自に引いた李承晩ライン*1を根拠に韓国が竹島の領有権を主張し始めた。
二国間の問題は日韓基本条約*2で全て解決したはずである。
(韓国の意見)
1905年に日本が竹島編入すると閣議決定したことは一方的である。
これは、後の韓国併合の始まりである。

まず、日本と韓国と竹島の歴史を振り返ろうと思います。
1904年に日露戦争が起こり、韓国は実質上日本の支配下に置かれます。
日露戦争講和条約である1905年のポーツマス条約によって朝鮮の優越権を認められた日本は、韓国を保護国とします。
そして、閣議決定竹島を領土と定めます。
しかし、第二次世界大戦が終わった後、1946年には竹島に対する日本の施政権は暫定的に停止されます。
そして、マッカーサー・ラインが制定され、竹島周辺での漁業活動に制限が加えられました。
その後、1948年に、南朝鮮(当時の韓国)が竹島を韓国領との請願書をマッカーサーに提出します。
これに対しシーボルト駐日政治顧問代理は「竹島に対する日本の領土主張は古く正当と思われる」と発言しました。
そして、1951年にサンフランシスコ平和条約が作られます。竹島は日本が破棄スべき領土に明記されませんでした。
しかし、1952年に韓国が李承晩ラインを一方的に宣言し、マッカーサー・ラインと合わせて竹島を自国側の海域に入れます。
これに対し日本政府は「韓国が竹島に領土権を主張しているように見えるが、認めない」と抗議します。これが竹島に関する日韓政府の初の応酬となります。
しかし、韓国大使に当てられたラスク書簡*3には「「独島」が朝鮮の領土であったことも主張されたことはない。マッカーサー・ラインも存続しない」と書いてあります。
1953年になると、韓国政府は李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示します。この流れは現在まで続いています。
その後、武装した韓国による不法占拠が続きます。
しかし、1965年に日韓基本条約が調印され、李承晩ラインも廃止されます。

次に、竹島を巡る争点には次のようなものがあります。
・誰が最初に発見し、実効支配をしたか(領土の権原)
・1905年の日本による竹島編入の有効性
・戦後のGHQによる竹島処分の解釈
・1952年の韓国による軍事占拠(李承晩ライン問題も含む)


ここで、竹島の権原は誰にあるのか見てみたいと思います。
日本の領土権原
歴史的な権原において江戸幕府竹島を領土とみなしており、日本に領土権原が存する。
ただし、歴史的な権原は近代的な権原に置き換えられる方が好ましい。
1905年の竹島編入以降の日本政府の措置は、まさに国家権能の表示の証拠であり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原も認められる。これは近代的な権原である。
韓国の領土権原
17世紀末に民間の朝鮮人が 日本における「竹島・松島」の知識を朝鮮古来の「鬱陵島・于山島」に当てはめ、松島は于山であるという認識を持ったとしても、その活動は国家を代表して行われたものでない。
18世紀以降朝鮮の官撰史書等に松島=于山と記載されたとしても朝鮮は竹島の実地の知見がない。仮に地図記載が領有意識の表示としても、それは観念上の領有意識にすぎず、実在の島へ訪れた記録も存在しない。
したがって韓国には歴史的な権原というべきものがない。
1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れた。しかし石島は竹島ではない(韓国は石島が独島と主張)
ウィキペディアより)

個人的には、韓国の主張は戦争後にいきなり連合国であったことを主張し、領土と賠償金を要求した韓国は許せません。
そもそも、戦争中は日本が統治していただけで戦争をしていたわけではないので賠償責任は発生しないのではないかと思っています。
しかし、最終的な判断はしっかり国際裁判所で決めるべきではないかと思います。


*1李承晩ライン

*2日韓基本条約

*3ラスク書簡