被災地へボランティアへ〜福島県相馬市へ〜

17日〜19日の三日間福島県相馬市へ災害ボランティアへ行ってきました。

複数あったボランティア受入地からなぜ福島を選んだか。
地震そのもの以外にも様々な被害を受けている福島を、見捨ててはいない人間がいる(たくさんいるだろうが)こと、一人ぼっちにさせないことを、現地に手伝いに行くという具体的な形で少しでも伝えたかったからだ。

13日事前に社協ボランティア保険に加入。
16日仕事が終わり夜9時出発。福島県に入ると高速はヒビがあり、ところどころガタガタした。3時過ぎまで走り仮眠、余震で一度起きる。6時に起床、さらに2時間ほど走り、相馬市のボランティアセンターに到着。


津波の被害を受けていないところはお店も開いており、営業時間が短いぐらいで、品ぞろえもばっちりだった(あくまでこの地域の話ですが)
津波の有無で相当被害が分かれている印象だ。

1日目
泥かき作業を5時間ほど行う。この日担当した家は1.5mほどの津波がきたところ。中・高生の家の娘さんもカッパに身を包み溝の泥をかき出している。
築100年だか200年だかの立派な家だ。この地には南北朝時代から住んでいるそうだ。庭には4月にオープンをひかえていた手作りの茶室があり、オープンに至る前に地震津波でだいぶ壊れてしまった。庭に茶室なんて、なんて優雅。そこでお茶を飲んだらさぞかしおいしそうだ。小林一茶直筆の掛け軸も下がっていた。おじさんこりすぎ!笑 その他倉庫にしまってある、骨董品の数々もダメになってしまっていた。
でももう作りこんだ庭も土砂でわけがわからなくなってしまっている。

家長は避難所の長もやっているようで、なかなか片づけに手が回らないようでした。避難所の芸能人訪問裏話も聞けて楽しかった。

土には木や草が混じっておりなかなかスコップの歯が立たず苦労した。
埃がすげぇ。




てか、たんぽぽ花咲かせてるし。感動した!

精一杯やらせてもらった。

ボラ終了後被災地を車で一回り。動画は後ほど。
海も見てきた。海岸は漂流物がたくさん。
一か月前には暴れ狂った海。

久々の海。不謹慎かもしれないが、きれいだなと、大きいなと思った。

この日も車泊。余震で一度起きる。

2日目
今日も泥かき、家具搬出。近くの小学校は入学式で、ピカピカの一年生が歩いてた。あとコロッケのショーもあったらしい。
担当した老夫婦の自宅は一か月以上経ったとというのに、ぜんぜん片づけが進んでいない。まるで一週間前に被災したような雰囲気だ。
床上1.5mくらいまで水が来ており、壁や床はところどころ破壊されている。


それでも老夫婦は生活再開に向けて頑張っており、使える家具は多少壊れていても、汚れていてもとっておこうとする姿には心を打たれた。
濡れた畳はとても重い。ピアノの移動。腐った魚の異臭。
捨てなければならない思い出の品を見つめるおじいちゃん…。

土砂や家具を頑張って回収場所まで搬出。道路は砂だらけで風が吹けば、舞い上がる。
更地にするなら重機でできるが、もう一度住みなおすためには人力での細かな復旧作業がかかせない、人手が必要だ。
多少なりとも役に立っている気がした。(後に続く作業は膨大だが)

被災地の方の勧めもあり、自衛隊の風呂に入ってきた。気持ちいい〜☆

車泊。

3日目
雨。雨の日は泥かきがなくボラの募集が少ないので30分前からならんで仕事をゲット!(遠くからきて空振りもさびしいので)。避難場所の運営補助の仕事をいただきました。
もっとも被害を受けた地域の方が休んでおられます。
「お兄ちゃんは流された…」などの子どものセリフが耳にはいってきました。

仕事は現場で発見されたアルバムや思い出の品をきれいにして、持ち主を探すこと。塩に使った写真はインクが取れてしまって、洗浄が難しかった。
結婚式の写真、家族の写真、旅行の写真、卒業写真、お祝いの写真…。
この写真の持ち主は健在なのだろうか、手元に戻るといいなと思いながら作業。
通りかかったおじいちゃんに感謝されてうれしかった。

ボラセンターに報告をし、帰路へつく。途中雨から雪に。路面に積もってきて、危なかった。
16時に現地を出発し、0時半に家到着。
なんかいろいろ震災関係の夢をみた。津波の夢も。

以下は被災地の様子。




松川浦。震災前はきれいなところだったんだろうな。
きれいな景色が早く戻るといい。