形而上学(上・下)


形而上学〈上〉 (岩波文庫)

形而上学〈上〉 (岩波文庫)

形而上学〈下〉 (岩波文庫 青 604-4)

形而上学〈下〉 (岩波文庫 青 604-4)


 ついに読み終えたぜイェッフー!
 というわけでアリストテレスの『形而上学』を、どうにか読み終えました。事実上2月をほぼすべてこの本に持って行かれたわけで、さすがに疲れた。本読んでこんな精神的にきつかったの久しぶりでした。
 もちろん、この長大な本の内容、その三分の一も理解できていないとは思いますけれども、ではつまらなかったかというとそんな事はなく、実はけっこう面白かったのも確かで。少なくとも読んだ甲斐はあった。


 『ニコマコス倫理学』まで、このブログでアリストテレスの著作に関して感想を書いた中で、彼が対象の観察と、その情報を体系的に整理することを重視した人だったんじゃないかといった感想を述べていたわけですが、この『形而上学』は圧倒的に演繹による仕事でした。個別の観察というよりは、論理の整合性だけを武器にどんどん切り込んでいく感じ。それはやっぱり、先行するプラトン学派のイデア関連の言説に対する批判が核にあったのだろう、という感触はありました。ことこれに関しては、アリストテレスが初めて立ち上げた学問というよりは、先行してあった学問を批評的に拡大する仕事だったのだろうなと。
 しかしそれにしても、とんでもない圧倒的な独走というか、とことん独創的な仕事でもあるわけで、このような追究・研究の発展を許した古代ギリシャという時代と場所には敬服するしかないよなぁ、と。


 個人的に何といっても面白かったのは、アリストテレスが長大な論考の果てに、神の実在を論証してしまうところで、訳者解説では暗に否定的に読むべき所としていましたが、私にはむしろそこまでの論述の集大成として楽しく読めたパートでした。本当、そこまで論述してきた事を使って、見事に神の実在が証明されちゃうという、そのアクロバティックさは一見の価値があります(笑)。しかも、「ではそうした神は単数か複数か、複数だとすればどれくらいいるのか」と問うたアリストテレスが、そこまでの話とのつながりから神と天体、特に遊星(=惑星)の運行パターンとを結び付けていくわけで、あぁなるほど、太陽系の惑星にオリュンポスの神々の名前がついてるのはこういう関連か、と激しく膝を打ったのでした。
 正直この発見だけで、値段分以上の価値がありました。
 プラトンにせよアリストテレスにせよ、存在の本質みたいなものを突き詰めて考えた結果、あらたな神話の世界観を作り上げ語ってしまうというのは、時代的な背景もあるでしょうがやっぱり私のような人間には面白いです。むしろ、プラトンアリストテレスの語った神話を比較神話学したい(笑)。


 それ以外の論述一般について、アリストテレスが、数学でいえば「ペアノの公理」みたいな事をしようとしてたのかな、という感覚は分かりますし、実際問題として数学的な議論の進め方をすごく意識していたのかな、という感触はあったわけですけれども。しかし、その精密極まりない議論の進め方にも関わらず、やはり哲学用語を数学記号や用語のように厳密に積み重ねていくのは厳しいし、アリストテレスもそこは理解していたからこそ冒頭辺りで、その学によって言葉の厳密さは変えなければならないと書かざるを得なかったのかな、と思ったりも。


 うーん、やっぱり私は、この本でなされたような形而上への探究それ自体には、あまり向いていないし関心も少ないのかなとは認めざるを得ず。アリストテレスが本書を通して何をしたかったのかを把握するところまでは頑張りますが、その論述内容を精査し検証する、といった仕事には食指が動きません。
 だからやっぱり、上記のような神話寄りの話題にばかり反応する次第。
 まぁそんなわけで、私が本書の「良い読者」だったとはとても思えませんが、しかし費やした時間に見合った収穫はありました。それでこそ古典。


 さて、これにてアリストテレスは一旦終了としまして、次はまた別な方向に進みたいと思います。今度はより私の関心に近いジャンルへ。また少しペースを上げられたらと思っています。
 そんな感じで、引き続き。