20歳のころ、私は「時間の測定」という題の詩を書きました ある男が正確な時間を知ろうとして息をこらしているが どうしても知ることができなくて恐怖に直面する という内容の詩です 私が何を問題にしていたかというと 正確な時計があったとしても その文字盤に表示された時刻を知覚して 脳に情報が送られるまでにはミクロの単位の誤差が生じ 結局、正確な時間を知ることはできない、ということでした そのころの私は量子力学の観測問題について何も知りませんでしたが 問題にされ始めてから50年以上が経っていたころのことで 知らず知らずのうちに、私は観測することへの失望を抱いていたのかもしれません (量子力学の観測問題…