レイテ島の戦い(れいてとうのたたかい)
日本軍は1942年にフィリピンを占領、当時米軍大将だったマッカーサーは(戻ってくる)と言い残して脱出。44年10月20日、米軍約20万人が比奪還のために上陸したのがレイテ島で、その後日本側はほぼ全滅した。同島の太平洋戦争中の死者(推計)は日本軍約8万人、米軍約3500人、島民約5万4千人。
太平洋戦争末期、フィリピン戦線に送られた日本兵は約53万人。うち、戦死、戦病死者は51万8千余(1975年推定数)にものぼります。 戦後、島内各地に戦友会や遺族により慰霊碑が建立されました。しかし、その多くが台風による破損・消失、または管理不十分のため、移設・埋設されており、年々数を減らしています。 今回は、レイテ島を中心にフィリピンなど、海外の慰霊碑を巡っている山上貴広(やまかみたかひろ)さんに、現地の様子や慰霊碑の現状について語っていただきます。 現地を訪問する際のモデルコースなども紹介いただく予定ですので、レイテ島、ルソン島で戦没された方のご遺族や、将来、渡航を計画されている方など、…