1883〜1964 戦前の少年小説界で活躍したユーモア作家にして、英文学者.
静岡県生まれ。明治学院高等学部卒業。慶応義塾大学予科教授のかたわら、ユーモア小説の第一人者として活躍した。著書に「いたづら小僧日記」など。
1883年(明治16年)5月4日〜1964年(昭和39年)9月22日
静岡県駿東郡清水村(現清水町)生まれ。林蔵とはるの長男。父は建築技師。6歳のとき父の仕事で上京し、芝の鞆絵小学校から正則中を経て青山学院中等部卒、慶応義塾予科より明治学院に進み卒業。卒業後、釜山の商業学校教諭、六高教授、慶大予科教授、明治学院高等学部講師を歴任、英語と英文学を教えた。
学生時代より、夏目漱石、マーク・トウェイン、ジェローム・K・ジェローム等の欧米のユーモア作家に影響され、いわゆるユーモア小説を多数執筆した。
その作風は、良識にとんだユーモアであり、昭和初期のサラリーマン階級の家庭的な笑いに焦点を当てて、上品である。
1928年に教職を退き、作家活動に専念したが、戦後復職し、1962年まで明治学院大学教授の地位にあった。
1936年辰野九紫らとともにユーモア作家倶楽部を結成、翌年11月より機関誌「ユーモアクラブ」を創刊、ユーモア文学の発展に尽くした。国際マーク・トウェイン協会名誉会員。1961年児童文芸功労賞。1962年紫綬褒章。リンク先の「佐々木邦の部屋」より引用。