プロ野球選手・指導者。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は1→5→27→26→6番。
1919年11月26日生まれ。兵庫県出身。
報徳商業*1で夏の甲子園に出場。
中央大学を卒業後、西日本鉄道に入社し、1948年、都市対抗野球で優勝。
1950年、西鉄クリッパーズの創立に参加し、入団。
1年目より強打者として活躍、打率.279、22本塁打を記録。
1952年、開幕後の4月に大下弘との2対1の交換トレードで、緒方俊明と共に東急フライヤーズに移籍。
25本塁打で本塁打王を獲得。史上唯一の2球団にまたがる本塁打王*2となる。
1954年、高橋ユニオンズの創立に参加し、移籍。
1955年、南海ホークスに移籍。
ホークスでは代打として活躍し、リーグ優勝に貢献した。
1957年、現役引退。
1961年、西鉄ライオンズのコーチに就任。
中西太の病気休養により、1965年4月18日から5月11日までの13試合、代理監督を務める。
1966年、西鉄ライオンズのスカウトに就任。
1968年、広島東洋カープのコーチに就任。
1970年、退団。
1972年4月9日、逝去。