「自由連合」代表・前衆議院議員(2005年8月17日現在)。 特定医療法人「徳洲会」理事長。 1938年兵庫県生まれ。大阪大学医学部卒。
2005年8月5日郵政民営化法案を採決した衆院本会議を病気療養中を理由に欠席。その後衆議院解散を受けて「体調の回復に努めてまいりましたが、未だ回復されてない」ことを理由に衆院選出馬しないことを表明し、政界から引退。後継者として次男・徳田毅氏が鹿児島二区で立候補予定。
徳洲会の創設者徳田虎雄氏が逝去してはや2ヶ月が経とうとしている。 最期を迎えたのはこの物語の中にも出てくる湘南鎌倉総合病院だった。 15階建の堂々たる威容を誇る。 ロビーは自然光を採り入れる非常に高い天井で、開放感が抜群だ。 自分も原付で事故を起こした時、移転前の旧湘鎌に救急車で運び込まれたことがある。 レントゲンを撮る時、技師に体を保持されながら撮影されたのだが、先輩技師が強い口調で新米技師?を指導していたのを覚えている。 徳洲会の原点は僻地の救急医療の普及にある。 そこに拘った理由は徳田氏が幼少の頃自分の弟を急病で亡くした経験にある。 湘南鎌倉総合病院も別棟として大層立派な救命救急センター…
イントロダクション 2024年7月11日、日本の医療界に多大な影響を与えた徳田虎雄氏が82歳で亡くなりました。徳田氏は徳洲会病院グループの創設者として知られ、「24時間、365日、誰でも受診できる病院」という理念のもと、日本中に医療ネットワークを広げました。彼の情熱と行動力は多くの人々に影響を与え、彼の遺産は今後も続いていくでしょう。 徳田虎雄氏の生涯 徳田虎雄氏は1938年2月15日、鹿児島県大島郡伊仙町で生まれました。医師としての道を志し、1965年に鹿児島大学医学部を卒業しました。彼の医療への情熱は幼少期からのもので、特に生まれ故郷の奄美大島での医療アクセスの改善に強い意欲を持っていまし…
徳田虎雄氏死去。一度、お会いしたことがありました。 <元衆院議員。神奈川県内の病院で死去。7/10 。 86歳。鹿児島県徳之島町出身。2002年に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、闘病中だった。1973年に大阪に「徳田病院」を開設。その後に全国規模の医療法人「徳洲会」グループを創設した一代で日本最大級の民間医療グループを築き上げた。1990年衆院選に旧鹿児島奄美群島区から出馬し、初当選。通算4期務めた。旧自由連合を結成し、村山政権で沖縄開発政務次官を務め、2005年に政界を引退した。> 続きです。 最近の番組では、 「NHKスペシャル、法医学者たちの告白」#6月30日 「ETV特集 死…
「生命だけは平等」信念に地域医療に貢献…「徳洲会」創業者の徳田虎雄さん、86歳で死去(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース 徳洲会創設者・創業者の徳田虎雄さんが亡くなりました。日本、離島の医療を変えた人と言っても過言ではありません。医師としてだけでなく、政治家としても大きな力を持っていた人なだけに残念です。 ALSを発症し、晩年は病と闘っていましたが、存在感というかカリスマだなと感じます。 屋久島に行った時も徳洲会はありますし、離島での医療を支えてくれる貴重な存在だと感じました。 『生命だけは平等だ』この志は素晴らしいものだと私は感じます。 徳洲会グループは、全国に指定管理者も含める…