第二次世界大戦後の沖縄に占領したアメリカ軍が設けた統治機構。1945年4月1日に沖縄戦でアメリカ軍が沖縄本島に上陸した日と同日に、琉球列島米国軍政府として設立。1946年7月1日に軍政府の権限が海軍から陸軍へ委譲。1950年12月15日に沖縄の長期的統治のために琉球列島米国民政府となる。1957年6月5日に米国民政府の長が高等弁務官となる。1972年5月14日に沖縄の本土復帰の前日に閉庁した。
☆ボランティア活動記録☆ 障害者協会の遠足でのボランティア 沖縄県公文書館 沖縄県公文書館は、1995年に開館した沖縄県が設置する公文書館である。 沖縄県の公文書だけでなく、琉球政府や琉球列島米国民政府の文書も扱っており、戦後の沖縄を知る上で貴重な存在である。2007年4月に指定管理者制度を導入し、財団法人沖縄県文化振興会が指定管理者になった。 旧首里城守礼門 守礼門は、沖縄県那覇市首里にある首里城歓会門の外、首里を東西に貫く大通りである「綾門大道」の東側に位置する牌楼型の門である。日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている。 お天気良すぎて門がお美…
戦争④ 日本は何故、歯車が止まったか? と、その前に、沖縄戦で生き残った住民のほとんどは、米軍が各地に設置した民間人収容所に入れられました。1945年8月15日、アメリカ軍の占領下にあった沖縄では、軍政府の招集により住民代表者会議が民間人収容所で開催され、5日後の8月20日、軍政府の諮問機関として沖縄諮詢会が発足します。そこから戦後沖縄の住民による自治活動がスタートします。 しかし、1952年4月、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれることになり、アメリカ軍部が沖縄に設置した琉球列島米国民政府(USCAR)の下部組織として琉球政府が設立されました。当時私達は、琉球政府の中で生活を維持し周り…
そもそも昭和という時代には、他人の戸籍などを閲覧することはそれほど難しいことではなかった。 「◯◯は朝鮮人」「◯◯は韓国人」などのデマが出始めるのは、戸籍の閲覧が難しくなった平成以降で、有名な「社会党・土井たか子は在日朝鮮人」など批判などが起こり、その延長で有名人の「朝鮮人説」「帰化説」などのデマも出てきた。 (「土井たか子 裁判」では、「土井たか子は朝鮮人」との記事は全くの事実誤認であり、デマ記事を掲載した月刊誌『WiLL』発行元のワックや編集長花田紀凱らが敗訴した) www.weblio.jp 笑い話として伝わっているが、土井たか子裁判では「土井たか子は朝鮮人である」というデマに対して、土…
やばい