「『人民のなかへ』の運動は失敗した。農民は立ちあがらなかった。学生たちはこの大実験から学ぶべく反省をはじめた」(松田 道雄)。 たとえば、「チャイコフスキー団」の盛衰に、運動の経過を見てみよう。 「1869年、マルク・ナタンソン、オリガ・ナタンソン、ニコライ・チャイコフスキーが、結成した『チャイコフスキー団』は、設立当初は読書会、書籍配布の為の組織であった。次いで、団員たちは農民や労働者の扮装で、農民のなかへ入って行く。 中期には、啓蒙目的で、集団農場や工場が作られ、そこで貴族や富豪の子弟が、農民や労働者と一緒に汗を流した。ソフィア・ペトロフスカヤは貴族の娘でありながら、職人の妻という触れ込み…