ロシアで起きた革命。 日露戦争の時に起きた方が第一次で第一次世界大戦の時に起きたのが第二次。 1917年の第二次ロシア革命は、さらに3月のロマノフ朝崩壊と11月のボリシェヴィキの政権掌握という二段階からなる。
単に「ロシア革命」といった場合、「十月革命*1」とも呼ばれる、このボリシェヴィキの政権掌握を指すことが多い。
*1:ロシアは西欧のグレゴリウス暦とは異なる暦を使っていたので、ロシア暦では10月に起きていた
1965年のアメリカ映画「ドクトル・ジバコ」 ソ連時代にみた「ドクトル・ジバコ」を再びみた 映画「ドクトル・ジバゴ」のあらすじと予告編 ラーラはバラライカが弾けたのか? バラライカによる「ララのテーマ」 ソ連時代にみた「ドクトル・ジバコ」を再びみた かの名画「ドクトル・ジバゴ」がNHK BSでやっていたので、録画しておいて、あとで2回にわけてみた。 だって、放映時間が3時間以上あるこの映画を一気にみると疲れるので。 しかし私はこの映画を小学生?中学生?のときに、のちに震災で倒壊した神戸新聞会館大劇場(現ミント神戸)で一気見している。 そのときの感想としては、「なんかようわからんが、これは大作や…
2022.10.11今、ちょっと授業デザインを作り直そうと思っています。この形で(といっても大きく変えることはないですけれど)やるのは、この授業が最後になります。[授業の流れ]1.Icebreaker 関連のあるもので頭の体操。空欄に人名を入れてみて!2.Critical Reading 重要な点や疑問のあるところに下線を引く(色や線で区別)。疑問点を「単元学習シート」へ3.説明を理解し、疑問点を解消する。(自習の場合は調べてみよう)4.問いに対して自分なりの答えを考える。5.今日のテーマの答えをまとめ、仲間と対話する。6.振り返りを行い、学習内容をメタ認知(客観視)する。今日のテーマ 米ソは…
2000年になったのか、 と思ったら、もう2025年です。 この4半世紀、このブログでも、 いろいろと振り返ってきました。 思い切って100年前を見てみると、 わかりやすい類似性がみられます。 そう思いついたのは、新型コロナの2020年、 それに対して、世界的なパンデミックだった スペイン風邪が1918年から1920年、 これは、第一次世界大戦を止めた陰の力でした。 そこで近代までの大きな帝国が解体されます。 ドイツ、オーストリア🟰ハンガリー、ロシア、オスマントルコの4つの帝国です。 さらに1917年のロシア革命で社会主義国家が成立します。 世界の再編、激動の時代の始まりです。 fukugen…
スターリンといえば、ソ連の指導者として第二次世界大戦で、ヒトラー率いるナチスドイツに勝利して、戦後ソ連をアメリカと並ぶ大国に押し上げたことで知られています。 また、ソ連人を5000万人殺害したといわれていて、冷酷な独裁者として知られています。 自国民を大量に殺害したことから、あのヒトラーよりも恐ろしい独裁者と言われることもあります。 スターリンはなぜ恐ろしい独裁者となり、5000万人もの自分の国の人々を殺戮したのでしょうか。 今回はそんなスターリンの生涯について解説していきます。 幼少期 青年期 ロシア革命 権力への道のり 大粛清 5か年計画 独ソ戦 孤独な最期 実の息子を見捨てた まとめ 幼…
「わだは革命家になる」(棟方 志功風に)と、レーニンは決意した。ツァーリ専制権力の打倒を誓う“鬼”になった。 レーニンは、19世紀末のロシア帝国という歴史的社会的文脈のなかで、マルクス主義を“革命の理論”としてつかみとる。 レーニンは、おのれの軌跡と重ね合わせるかのように、「唯一の正しい革命理論としてのマルクス主義は、ロシアが、前代未聞の苦悩と犠牲、かつて見たこともない革命的英雄主義、想像も及ばないエネルギー、探求のひたむきさ、教育、実践での体験、幻滅、失望、点検、ヨーロッパでの経験との対比の半世紀の歴史で、文字通り苦しんだすえに手に入れたものだ」と書いている。 “鬼”は、“虎の皮のパンツ”を…
19世紀のロシアでは、あまたの人びとが、ツァーリ専制権力との戦いに生涯を捧げた。戦いの記憶と記録は、受け継がれる。 レーニンは、やがてロシア経済の工業化にともなう労働者運動の活発化などを踏まえて、(「人民主義」ではなく)マルクス主義に立脚することになる。 その前に、若きレーニンは、兄アレクサンドルの死後、1887年秋にカザン大学のラザール・ボゴラズのサークルと、1888年秋にマリア・ チェトヴェルゴヴァのサークルと、そしてサマラ時代には、N・ドルゴフやザイチネフスキーらジャコバン派的信条をもつスクリャレンコのサークルと接触していた。まだ若かったレーニンは、その過程で、革命家としての行動規範・行…
「『人民のなかへ』の運動は失敗した。農民は立ちあがらなかった。学生たちはこの大実験から学ぶべく反省をはじめた」(松田 道雄)。 たとえば、「チャイコフスキー団」の盛衰に、運動の経過を見てみよう。 「1869年、マルク・ナタンソン、オリガ・ナタンソン、ニコライ・チャイコフスキーが、結成した『チャイコフスキー団』は、設立当初は読書会、書籍配布の為の組織であった。次いで、団員たちは農民や労働者の扮装で、農民のなかへ入って行く。 中期には、啓蒙目的で、集団農場や工場が作られ、そこで貴族や富豪の子弟が、農民や労働者と一緒に汗を流した。ソフィア・ペトロフスカヤは貴族の娘でありながら、職人の妻という触れ込み…