日曜日、隣町の「内灘闘争70年記念シンポジウム」に参加しました。「金は一年 土地は万年」と書かれたむしろ旗スローガンが飾られた内灘町役場町民ホールは、次々に椅子を補充してくださっても追いつかないほどの大勢の人たちでした。高齢者のみならず、若者や乳幼児を抱いたお母さんの姿もありました。 パネリストのおひとり、杉村竹子さんは91歳。当時を知る貴重な体験者でした。毎日、200~300人が座り込みしたという激しい闘争運動のこと、一致協力した浅野川電鉄、国への陳情、両親は娘の行動を黙って見守ってくれたけれど兄妹仲はこじれてしまった…など、杉村さんの思い出話は尽きることがありませんでした。 シンポジウムに…