人は「俺、俺のもの」が錯覚だと分かるまでは、 「俺」の利益になる(と感じる)こと以外決してできない。 それを、悪いといっても、意味がない。 それしかできないのだから。 ブッダは人類史上誰よりもこの事実を知り抜いていたとおもう。 ブッダの説いた戒・定・慧が実行可能なのは、 迷える「俺」にも、それが最も自分の利益になると確かに感じられる ようにできているからだ。 それは最初あまり分からなくても、修めるうちにはっきり感じられてくる。 自分が、ブッダの説いた戒等に守られていると、分かりかけた仏教徒に、 次のキリスト教のことばは新鮮に響く。 (ヒルティ幸福論第二部「キリスト教序説」より 草間平作・大和邦…