エピソードが語られ、短い解説があって、わたしは納得いかない。まったく納得いかない。でもそういうもので、人が外から理解するときは、うまく類型化を組み合わせて自分のために理解する。どこまでいってもそれだけで、エピソード自体が、語ったこと自体が、誰かに理解されることはない。それ自体の目的が届くことはない。解説というのは何の、何のための解説だったのだろう? 目的や問いがふわっと消えて、それじゃないものを渡され、消えた場所にあったものを忘れてしまう。そういう感覚でいっぱいになる。 でもそういうもので、このあたりが「わかりあう」「理解しあう」「相手の立場に立つ」といったことの限界なんだろうな、というライン…