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ガマエ

(アート)
がまえ

「gamahé」。純粋に自然から生まれた不思議な画像《バルトルシャイティス『アベラシオン』p120》。瑪瑙〔メノウ〕や大理石など模様の出やすい鉱石に現れた、「キリスト磔刑」だの「聖ヒエロニムス」・「聖母子」・「聖フランチェスコ」・「聖パウロ」・「受胎告知」・「巡礼」・「ソドムとゴモラ」・「最後の審判」といったキリスト教的な主題の読み取れる物から、「街並み」〈=ピエトラ・チッタディーナ〉や「森の樹枝」〈=ピエトラ・エンボスカータ〉、そして「フクロウ」――ロベール・アンリコの伝説的奇作『ふくろうの河』3000部限定今2006年4月発売!(エイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』の原型で、アンブローズ・ビアスの短編小説『アウル・クリーク鉄橋での出来事』{;岩波文庫『ビアス短篇集』や『いのちの半ばに』に、又は創元推理文庫の『生のさなかにも』に所収/英語原文で読める人はアメリカ版「青空文庫」の「Project Gutenberg」;「http://www.gutenberg.org/dirs/etext95/owlcr11.txt」を開け!}の映画化)―― ・「猿」・「牛」・「ドラゴン」まである。ティボリでは「キリスト」を意味する「INRI」なる文字まで見出された。
かのプリニウスが大々的に扱い、中でも「いとも賢き王者ピュロスはこの石を指に環めていた」記述は1372年歿のジャン・ド・マンドヴィルやコンラート・フォン・メーゲンベルグ、アルフォンス・サージュ『宝石詩』、アルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』、ピエトロ・ポンポナッツィの『自然の産物たる多種の宝石を論ずる第三の書』、スカリゲル(1484〜1558)、アグリコラ(1490〜1555)、ゲスナー(1516〜1565)、ウリッセ・アンドロヴァンディ(1522〜1607)、ガファレル、ガリポリ、オスヴァルト・クロール、アンセルム・ボエース・ド・ボート、そしてジェローラモ・カルダーノやデザリエ・ダルジャンヴィル…と展開していくが、最後の二人は否定的である。
実際、自然鉱石であれば模様が奥深く浸透しており、どこを切っても千歳飴のようであったり、「あらゆる角度から見ても必ず十字架が見える」のに対して、そうでない、単に人が手を加えた表面的な物も多く、19世紀も押し迫った末期にボルドーのJ・V・モンバルレは「ドルドーニュ河畔」や「ジュイヤック(ジロンド県)の寂境」の来歴を種明かししている。がしかし、これら贋物は「クンストカマー」(=芸術品蒐集室)や「ヴンダーシュランク」(=不思議箪笥)にたくさん混じり入った。
とはいえ、これらは「国宝」の先蹤である「ハプスブルグ家のコレクション」に引き継がれていくなど(;ティロルのアンブラス城)、後に与えた影響が甚大であるし、1618年以前に雪花石膏板〔アラバスター〕に描かれたアントニオ・カラッチの幻想効果などは「見立て→継承・伝統」と“フィードバック”されていった訳であり、この経緯は決して軽視できるものではない。
“交感”であり、“同化”あるいは“調律”〔チューニング〕なのだ。人は死ねば無機質となり、つまりは土化、引いては石化する訳であり、決して安易なペティシズムではないタナトス、禅の悟りのような死生観を思う便〔よすが〕とした次第であり、このことは松岡正剛が熱狂的に再評価してみせたジョン・ラスキンの『ヴェニスの石』に直結し、フランセス・イエイツの『世界劇場』における「ヴィトルヴィウス建築学」〜住居設計に至るまで、あるいは我らが荒俣宏は名作『レックス・ムンディ』において「陽光と岩石の結婚」なる、神秘主義的であり科学以前の総合学を復権させたような幻惑的・奇術的知性を奔出させしめている。
勿論、ストーンヘンジや中沢厚(;丸石)はこの文脈に立脚している。レヴィ=ストロースたちの「ブリコラージュ」や、木内石亭や今和次郎〜赤瀬川原平たちの「考現学」もそうだ。マルセル・デュシャン〜ヴィンター&ホルベルトあるいはシャルロッテ・ポゼネンスケやジョン・M・アームレイダー、フランツ・エアハルト・ヴァルター、グラハム・マクアリスタまたは篠原勝之(;誰ピカの「クマさん」)に至るまで、あるいはこの傍系で眺める山崎俊雄や前田清志…といったART全般がそうだ。いやもっと言おう、アートとは畢竟このことに他ならぬのである!

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