Creed Taylor
ジャズ・プロデューサー。ベツヘルム・レコード、ABCパラマウント(impulse!を設立)、ヴァーヴ等を経てA&Mに移籍し、67年CTIを設立する。70年にCTIはA&Mから独立。(同年、より黒人マーケットを意識した"KUDU"も設立している)83年に倒産するまで、同レーベルにて多数のヒットを作り出した。彼の起こしたボッサブームや統一感のあるカバーコンセプトなど、現在の音楽シーンに大きな影響を与える仕事を残している。
長年にわたる業績を振り返ると、改めて偉大なジャズ・プロデューサーだったと強く感じるのが、クリード・テイラーである。 時代の変化に適合する音楽制作で、数多くのジャズ・アルバムをポップス・チャートに送り込んだ。ジャズの潮流がハードバップから、ソウル・ジャズ、フリー・ジャズ、そしてフュージョンへ移行した1960~70年代。激変期であるにもかかわらず、コンスタントにヒット・アルバムを制作し続けて、ジャズ・シーンを盛り上げた功績はいくら称賛されても足りることはないだろう。 が、それにもかかわらず、華々しい業績に見合った称賛を受けているとは思えないのが不思議である。 クリード・テイラーは、1954年からベ…
朝から梅雨らしい雨が降っている。目覚めとともに少しずつ覚醒していく耳の神経にわずかではあるが連続的な音圧を感じる。弱いホワイトノイズのような雨音のベールを剥ぎ取り、まだ少し疲労感の残った体を無理やり起こす。少し汗ばんでいるのだろうか。もう夏は近いな、と思いながら、土曜の朝を示す明るめのリビングに重い足を運ぶ。 この時期の雨はボサノバと相性がいい。夏の一時期を彩るボサノバは、いつも梅雨時に聴き始める。その最初の一枚は敬意を表し、やはりこのアルバムから始めなければならない。ジャズのアルバムとしても、ボサノバのアルバムとしても、どちらからも揶揄され続けながらも、やはり名盤であるとともに、このアルバム…
音楽 15 ブラジル音楽 ブラジル音楽を初めて聞いたのは小学生から中学生になるころだった。今と違って、あのころはラジオしか聞いていない小学生が、英米以外の音楽を耳にすることは、実は幸せにも当時は特別なことではなかった。1960~70年代には、イタリアのポップス「カンツォーネ」が何曲もラジオから流れていたし、フランスのポップ「フレンチポップ」も同じようにヒットチャートに上っていた。ラジオで、イタリア語やフランス語の歌を耳にするのは、あのころの少年にとって、ごくありふれたことだった。1970年代前半なら、アフロ・ロックのオシビサや、カメルーン出身のマヌ・ディバンゴや南アフリカ出身のヒュー・マサケラ…
前2回にわたって、映画「2001年宇宙の旅」(1968年) に使われて超有曲名になった「ツァラトゥストラはかく語りき」を採り上げてきた。 今回の「レコード評議会」はその「ツァラトゥストラ」繋がりということで、このアルバムを採り上げる。 Deodato Prelude US盤(1973年) CTI Records CTI 6021 Side1:RVG 87678 A (ゝ VAN GELDER ⌂ Side2:RVG 87678 B (ゝ VAN GELDER ⌂ Side1 1. Also Sprach Zarathustra (2001) 2. Spirit Of Summer 3. Car…
にゃんか突然にあの秋のひんやりとした大気に取り囲まれた朝を迎えたのら。😸んだもんでもぉ半世紀も昔の事になるのだどもクリード・テイラーっつ〜プロヂューサーが企画したCTIシリーズのLPレコードでTRST IN ME つ〜愛聴盤を思い出したど。拙猫にはにゃんかこんな朝ピッタシのフィーリングの作品だったで聴きたくなったんだにゃ。 朝の珈琲ブレイクを済ませ線路沿いを散策したらフエンスを越えて露草が咲いてただでニャンショット。 足元には露草の花が群れて咲いてたど。露草ってホント初秋にピッタリの楚々とした雰囲気を漂わせてるにゃぁ〜。
一昨日だったか、新聞の訃報欄に載っていた。 アストラッド・ジルベルトさん(歌手)英メディアによると5日死去、83歳。死因は明らかにされていない。 ブラジル出身。ボサノバの第一人者として知られる歌手のジョアン・ジルベルトの元妻で、60年代に「イパネマの娘」を歌い、世界的に大ヒット。ボサノバの知名度を引き上げた。 アストラッド・ジルベルトさん死去 「イパネマの娘」:朝日新聞デジタル 83歳、大往生なんでしょうが、なぜか無性に淋しい。ボサノヴァの誕生に立ちあった人がみんな鬼畜に入った、そんな感慨がある。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、クリード・テイラー・・・・・…
1960年代のヒット曲「イパネマの娘」など、ささやくような独特な歌声で世界的な人気を得たブラジル生まれのボサノバ歌手アストラッド・ジルベルトさん ⬆が83歳で死去した。1959年にギタリストのジョアン・ジルベルトと結婚、1963年にアメリカ合衆国に移住。彼女はプロの歌手として歌ったことはなかったが、彼女の歌声にプロデューサーのクリード・テイラーが目をつけ、彼女が英語で歌う「イパネマの娘」が作られ、これがアメリカを中心に 世界的に大ヒットした。アストラッドは、当初歌手でもあった夫ジョアンの歌い方を真似たりして何となく歌っていたが舌足らずの英語と可憐な声と見た目の可愛いさも手伝って、プロデューサー…