Jean Genet フランスの小説家。 1910年12月19日、生まれ。1986年4月15日、死去。 父なし子として生れ、母にも捨てられ、泥棒をしながらヨーロッパ各地を放浪し前半生のほとんどを牢獄で過ごす。 終身禁固となるところをジャン・コクトー、ジャン=ポール・サルトルらの運動によって1948年に特赦を受けた。 代表作「泥棒日記」
今週のお題「最近洗ったもの」 絨毯!!! ドライクリーニングオンリーのビスコースでできたベルギー絨毯を家で洗っちゃったよ どうなるものかと思いましたが艶がなくなる程度ですごく縮んだりはしなかった でもよい子は絶対に真似しちゃダメ 洗う前の写真撮っとけばよかったね ところで、違う話しをしようと思ってたけど 新型コロナ重症化リスクが高い高齢者に行動自粛を求めることで重症者・死亡者を減らすことが期待できるのかhttps://t.co/PHDRdXoLHn 「行動制限は取らずに医療が逼迫することや高齢者が亡くなっていくことを許容してでも経済や社会活動を優先するのか、国民への十分な説明が必要」許容できな…
泥棒日記 (新潮文庫)作者:ジャン ジュネ新潮社Amazon「裏切りと、盗みと、同性愛が、この本の本質的な主題である」というジャン・ジュネは、本書『泥棒日記』において、「あなた方」とか「あなた方の世界」という表現をくりかえし、自分が生きてきた世界と自分に悪の烙印を押し、ノーを突きつけてきた世界とをはっきり区別しようとしている。 親に捨てられた孤児として生まれ、少年時代から盗みを行うようになったジャン・ジュネは、数々の刑務所へ何度も投獄されながら、乞食、男娼、泥棒としてヨーロッパ各地を放浪する生活を二十年にわたって続けたという。自伝的作品である『泥棒日記』が特異なのは、作者が裏社会の人間として生…
ジャン・ジュネ Jean Genet (1910-1986)が亡くなって約四半世紀が経った。最後の「小説」『恋する虜UN CAPTIF AMOUREUX』の和訳版が出たのが1994年、鵜飼哲・海老坂武訳/人文書院出版のこの本は、絶版になっている。 現在新刊書店では、ジュネの作品の単行本は滅多に見られない。しかし、エドマンド・ホワイトによる伝記『ジャン・ジュネ伝』(上・下)(!)は往々にして見受けられる。不思議だ。その作家の作品は絶版で、その伝記しか読めないという、この状況。そしてそれは、ジュネという作家の特異性の一面を表している。つまり、「作品」より「人物」の方が興味深い(面白い)、ということ…
いよいよ初冠雪も見てしまった今週。そしてもう年末まで二週間。 目まぐるしいスピードで回る月日を駆け抜けていく。 先週 himasogai.hateblo.jp 12/10 月1の仕事で運転日。まず職場まで行くのに2時間近くかかって(休日は早けりゃ40分で着く)、そこからひたすら一日中運転とか掃除とかをするので本が読めない。 街の方に行ったら街路樹が綺麗に色づいていて、やっぱりまだ冬じゃなくて秋なような気がした。文學界の対談コーナーを読む。まずは平野啓一郎×石井裕也「原作と映画の共同的ライバル関係」。こんなタイトルになってるけどバチバチやり合ってるわけじゃなくて和やかな対談。 小説の登場人物につ…
2010年12月、ミリオン出版から刊行された友川カズキ(1950~)の歌詞集。写真は岡宮龍、編集はカワイオフィス。 目次 第一章 生きてるって言ってみろ 生きてるって言ってみろ 青春 トドを殺すな 家出青年 似合った青春 歩道橋 石森さん 寂滅 こんどの肉は手ごわいぞ あいうえお狂歌 死にぞこないの唄 第二章 おじっちゃ おじっちゃ 冬は莫迦くへなぁ 優美子の春 泥棒猫夜走る 殺されたくないなら殺せ ちいさな詩 電話 乱れドンパン節 なまはげ だがづぐ 明るい夜 第三章 木々は春 木々は春 犬 殺人と青天井 椿説丹下左膳 口から木綿 神様になれ 点 赤子の限界 囚われのうた 一切合財世も末だ …
(本書のプロットと結末に言及していますので、未読の方は、ご注意ください。) 『サン・フォリアン寺院の首吊人』[i]は、水谷準訳で読んでいたが、新訳[ii]が出たので読み直した。 江戸川乱歩が本作をもとに『幽鬼の塔』[iii]を書いたのは有名であるし、ジョルジュ・シムノンの初期長編としては『男の首』(1931年)に次ぐくらいの代表作とされているので、期待して読んだのは一年くらい前である。しかし、そのときは、正直、さほど印象に残らなかった。 オランダのちっぽけな駅で、風采のあがらないフランス人の青年が、勝手もわからぬまま、うろうろしている。彼を付け回しているらしい大柄な中年男は、男をブレーメンまで…
ジャン・ジュネの伝記を読んでいる。ジュネは10歳ごろから泥棒を始めたようだ。 「「泥棒」という言葉は、私を深く傷つけたと思う。深くというのはつまり、そうした存在になると恥ずかしい思いをするのだ、あるいは人々にかまわず堂々とそうなりたいと考えるのは恥ずべきことなのだと人々が私に思わせようとする存在に、自分から進んでなってやろうと思うほど、ということだ。」『ジュネ伝』上p46 私はこのジュネの言葉に感動した。というかあこがれを抱いた。犯罪者になりたいということではなくて、その傷つきの「深さ」に。なにかに「自分から進んでなってやろうと思うほど」、私は深く傷つきたい。
2024年10月31日時点での既刊の光文社古典新訳文庫全405点(【A】文学308点/【B】思想78点/【C】社会科学14点/【D】自然科学5点)をあげた。文庫の整理番号順(注)に従って表記した。編者、訳者は一部を除き割愛した。 (注)光文社古典新訳文庫の整理番号は複雑であり、まず作品のジャンルごとに大きく4つに分けられている。【A】が小説などの文学作品、【B】が哲学などの思想に関する本、【C】が政治・経済などの社会科学に関する本、そして【D】が自然科学に関する本である(【B】と【C】の境界はかなり曖昧である)。 同じ著者でも作品のジャンルが違えば、違う著者番号が与えられることになる(例: ヴ…
「JUNE(ジュネ)」の時代――BLの夜明け前 作者:佐川 俊彦 亜紀書房 Amazon 『「JUNE」の時代 -BLの夜明け前-』佐川俊彦著を読む。以下、メモ的に。 〇作者は版元である「サン出版に劇画編集アルバイト」で入った。会議に出した企画が『JUNE』だった。「1978年」の創刊立ち上げから正式に編集者となって編集長をつとめる。 〇「1975年にはコミックマーケットも始まる」そこに「集まる人たちがお互いに「おたく」と呼び合っていた」それが「おたく」の発祥。 〇「元祖BL(ボーイズラブ)雑誌『JUNE』」。作者曰く「ゲイ雑誌」ではなくて「女の子のための耽美雑誌」だと。 〇BLが女性に支持さ…
朝、柚子がペット火葬に幾つか連絡して今日来てくれるところを探す。一件見つかって16時に来てくれるとのこと。私はいちど職場に出る。帰りに「赤福」を三宮の阪急で買う。「「しま」にお土産があるよ」と言って帰宅するのはこれが最後である。「赤福」のピンクの包装紙に、餡だけを少し箆でとって包んで、段ボール箱の棺の中に入れる。柚子が花を買ってきて、「しま」のまわりを飾ってあげてくれていた。 K君が「しま」がうちに来た日の私の日記のURLを送ってくれる*1。 四時前に、白いライトバンで葬儀屋がやってくる。後ろの荷台が火葬炉になっているらしく、サイドガラスには真黒なシートが貼ってあり、天井に煙突らしきものが見え…
【64天安門ってプロフに入れるとスパムを防止できるって話3年くらい前からあるけどまだやってんの? ネトウヨって昨日と同じ今日を明日も続ける生き物なんだな】 で、ふと思ったんだけどさ、ネトウヨは天安門広場で戦車の前に立っただけの写真で虐殺されたと決めつけて中国叩くけど(虐殺どころか、この人場外のおじさんたちに「解放軍に迷惑だからやめろ」と連れ出されただけ)それ人道的にやってるわけ? 人道的にやってるっていうならレイチェル・コリーさんの件でイスラエルになんか言えよ。おまえらの宗主国の人じゃないか。 ja.wikipedia.org こちらは正真正銘パレスチナ人の家屋を守るためにブルドーザーに立ちは…
眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。 今回ご紹介するのは、アンネマリー・シュヴァツェンバッハの作品集『雨に打たれて』です。 『文学ラジオ 空飛び猫たち』で紹介された一冊。印象的な表紙が記憶に残っていて、購入を迷っていたら店頭からなくなり(地方住まいの悲しさよ)、書店での書肆侃侃房フェアで運良く買うことができました。 雨に打たれて/アンネマリー・シュヴァツェンバッハ あらすじは、 1930年代、ナチスに迎合する富豪の両親に反発し、同性の恋人と共に中近東を旅したスイス人作家がいた。同じように世界に居…
出逢った、影響を受けた、記憶に残る劇団というものがある。 文学座、民藝、俳優座を観に出かけるときには、どういうわけかフルコース料理を注文する気分がした。しかし料理店を選ぶさいには、あそこは魚料理が自慢だからとか、酢の物や和え物が絶品だからとか、単品への興味がむしろ先立つことがある。演目への、演出家への、出演役者への興味から、次なる出逢いへと導かれていった。 劇団俳優小劇場(通称「俳小」)の最初はジャン・ジュネの『黒人たち』だった。小林昭二に惹きつけられた。一九六六年四月三十日のチケット半券が残っている。プログラムによれば、楽日だったようだ。 ジュネ作品とも初めての出逢いだった。こんな世界もある…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年7月16日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「アメリカは終わって中国の時代が来る?→社会学者がキッパリ否定する理由 混迷する世界情勢の中、「アメリカ一強の時代は終わった」という意見も大きくなっている。しかし、東大名誉教授で著名な社会学者の吉見俊哉は「アメリカの時代は終わっていない」と断言する。本稿は、吉見俊哉著『さらば東大 越境する知識人の半世紀』(集英社新書)を一部抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● アメリカの覇権が終わるとき…
曇。 目覚めたら灯りがつけっぱなし。iPad mini がふとんの上に転がっていて、どうやら下らないアニメを見ながら寝落ちしてしまったらしい。そのうち iPad、体の下にして割ってしまうぞ。 おままごとで育てているミニトマトが蔓延っている夏だ。一気に穫れ出した。 NML で音楽を聴く。■シューベルトの「楽興の時」 D780 で、ピアノはディナ・ウゴルスカヤ(NML、CD)。異形の「楽興の時」、深みのある曲ではあるが、ふつうこんなに深刻に弾かれることはない。時に知らない曲のように聴こえる。わたしの感受性の限界を超えているな。 昼。 雨が降り出してから、図書館へ寄って、イオンモール各務原へ。3Fフ…
大雨のせいでシャッターは半分だけ閉じてあるが「つのぶえ」の看板は出ているので中に。カウンターの配置が変わっていて、机と椅子が減っている。いつもふたりで店番をしておられたのがひとりになっていて、その空隙に胸騒ぎがする。百円棚でジャン・ジュネのインタヴュが載っている『ブラックパンサーは語る』を見つけてすぐ買う。夕方には雨が止んでいて、「しま」を病院に連れてゆく。今日は点滴のみ。帰宅して柚子が淹れてくれたお茶を吞み、他にしなければいけないこともあるだと思うが、ダネル四重奏団のショスタコーヴィチの《第1番》を聴く。
最近、これはという映画を見ていませんが、 前回、森の記憶について書いたあと、ふと思い出した映画があります。 ジャンヌ・モロー主演の「マドモアゼル」 これを観たのはテレビだったか、グサリとくるものがあった。 やはり人間というものは、内部に何を抱えているか分からない存在、 傍目には理性的だと見える人が異常な行動に出る場合がある。 そんなことを考えさせられる映画だった。 「主演のジャンヌ・モローは、マドモアゼルと呼ばれ村人の尊敬を一心に集める女教師。 だがそれは表向きのこと、神秘な美しさを持つ彼女には、誰にも知られない秘密があった」 ◆スタッフ 監督:トニー・リチャードソン(長距離ランナーの孤独・ト…