ジャン・ルーシュ

(映画)
じゃんるーしゅ

 ジャン・ルーシュ(1917−)フランスの映像人類学者・映画監督

 シネマ・ヴェリテの創始者。その記録映画的手法は、ヌーヴェル・ヴァーグの批評・実作に大きな影響を与えた。フランスの民族学者、映画監督。
 1917年5月31日、パリ生まれ。父ジュール・ルーシュは海軍士官。
 1947年、テオドール・モノーの助力で国立科学研究センター(CNRS)の研究員となり、人類博物館の講師となる。ニジェールとマリを旅し、ソンガイ族居住区を研究しながら博士論文の研究と結びついた映画を撮り続ける。
 1949年、ジャン・コクトーらにの企画したビアリッツでの第1回「呪われた映画祭」で短編『憑依者たちの踊りへの通過儀礼』Initiation a la danse des possedesが最優秀賞を受賞。
 1952年、ジェイン・マーガレット・ジョージ(1987年没)と結婚。
 1953年、エンリコ・フルチニョーニ、マルセル・グリオール、アンドレ・ルロワ=グーラン、アンリ・ラングロワ、クロード・レヴィ=ストロースらと人類学映画協会(CFE)を設立。
 1955年、ガーナ、アクラのハウカと呼ばれる憑依カルトを記録した『狂気の主人たち』Les Maitres fous(仏語題名は「ハウカ」の仏訳)を人類博物館で上映。ジャン・ジュネの戯曲『黒んぼたち』(58年)に影響を与えた。
 ルーシュが「人類学的劇映画」と呼ぶ一連の長編映画に、ニジェールの3人の若者の体験を描く寓話風映画『ジャガー』Jaguar(57−67年)がある。
 1958年、アビジャンの黒人居住区トレシュヴィルで撮影された『僕は黒人』により、ルイ・デリュック賞を受賞。
 1959年、コート・ジヴォワールで『人間ピラミッド』撮影開始。
 1960年夏、社会学者エドガール・モランと共同監督した『ある夏の記録』は「シネマ・ヴェリテ」の代表作となる。同作はカンヌ映画祭で国際批評家賞を受賞。
 ニジェールのニアメ大学に人間科学研究学院(IRSH)を設立、映画技術の教育を行う。
 またCNRSの所長となり、博士論文『ソンガイ族の宗教と魔術』を公刊。
 1964年、ヌーヴェル・ヴァーグの監督によるオムニバス映画『パリところどころ』(65年)の一編『北駅』を撮る。
 1965年、マリとニジェール国境地帯のライオン狩りを記録した『弓矢でライオン狩り』La chasse au lion a l'arcを撮る。
 1967年から74年にかけて、ジェルメーヌ・ディテルランと共同監督で60年に1度、7年かけて行われるドゴン族のシギ大祭を記録する。
 1968年から翌年にかけて、『ジャガー』の続編『少しずつ』Petit a petitを撮る。
 1974年、『ジャガー』と『少しずつ』の出演者ダムレ・ジカ、ラム・イブラヒマ・ディア、タルー・ムズラーヌと共に、新たな寓話風映画『コケコッコーにわとりさん』Cocorico monsieur Pouletを撮る。
 1986年から91年までシネマテーク・フランセーズのディレクターを務める。
 2002年4月、ジョスリーヌ・ラモットと結婚。
 2004年2月18日、ニジェールで自動車事故のため亡くなった。
 無数の記録映画を残しているが、たびたび編集が変えられているため正確な本数は特定できない。



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