『デルス・ウザーラ』撮影のいきさつ ハリウッド進出に失敗したのち復帰を目指し制作した『どですかでん』も興行的に振るわず、黒澤明は1971年12月自宅で自殺未遂騒動を起こす。そんな失意の黒澤に映画制作の話を持ちかけたのが、ソ連の映画撮影所モスフィルムであった。 その申し出があったのは自殺未遂騒動の前、1971年2月にシンポジウムで来日していたソ連の映画人からだ。その年の7月に今度は黒澤が映画祭の出席のためソ連を訪れると、改めて映画制作の話が持ちかけられる。黒澤はこの申し出を快諾すると具体的な話にも及び、シベリア探検の物語『デルス・ウザーラ』が映画化の有力候補となった。 ソ連映画界からの監督依頼は…