Daryl Dean Spencer
元MLB選手。元プロ野球選手。
右投右打、ポジションは二塁手→一塁手。背番号は25番。
1929年7月13日、生まれ。2017年1月2日、死去。
アメリカ合衆国カンザス州出身。
ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ロサンゼルス・ドジャース、セントルイス・カージナルス、シンシナティ・レッズと5球団を渡り歩く。
1964年、阪急ブレーブスに入団。4番打者として活躍。長池徳士と共に打線を牽引した。獰猛で鳴らす反面、常に日本の野球を研究し、日本球界に順応していった。
1965年7月16日、サイクルヒット達成。
同年8月、本塁打王争いの最中に8打席連続四球。これにより野村克也が三冠王獲得。
1967年、阪急ブレーブスの初優勝に貢献。オールスター2回出場。
1969年、退団。
1971年、阪急ブレーブスに復帰し選手兼任コーチとなる。
1972年、退団。退団の際に日本球界を研究した「スペンサー・メモ」を残す。そのメモが功を生み、1970年代の黄金時代に大きく貢献した。
帰国後は地元のセミプロ球団の監督を務めた。
ブレーブス史上最高の外国人選手に数えられる。
また、伊東一雄の「パンチョ」というニックネームの名付け親として知られる。