・1501年春 リトアニアの求めに応じて、リヴォニア騎士団はモスクワを攻めた。 ・1502年 クリミアのカン,メングリ ギレイは、大オルダを滅ぼした。 ・1502年 8. クリミアのカンの子息は、リトアニアに侵攻するも、モスクワ軍とは合流できなかった。 ・1502年 9. このころ、モスクワ軍はスモレンスクを攻めていたが、奪取できなかった。 ※このころ、オスマンに対抗するために、教皇アレクサンデルはキリスト教国の同盟を画策しており、マジャルロサーク君主ラースローらも加わり、モスクワとリトアニアの休戦を促した(宮野裕『「ロシア」はいかにして生まれたか』)。 ・1503年 3.15 モスクワ側は、…