あったりしますか? 語尾あげを聞くのも流れるようになった。最初は疑問(自信のなさ?)というように我にも彼にも表現しているだけかと思った。トラウトさんの投稿を読んで、婉曲表現大盛時代だと思う。責任をとらないですむように語られるようになってきつつあるのか。それにしては、責任はあります、丁寧に説明する、という政治家の言葉は、それで終わり、言葉を壊しているとしか思われないが、一向にただされるようでもない。そのうち、宿題忘れた子が「忘れた責任は私にあります。丁寧に説明します」と、先生にいって、それで終わる、という日がくるのであろう。 月2~3回ぼうレンタルやで働いている私は、「○○はあったりしますか?」…