私が皆さんに、武久源造の音楽をささやかであるけれどもご紹介してきているのには、 私自身が芸術家として、またヒーラーとして長年培ってきた感性と本然の霊性によるものです。 譬えてみるならば、その音楽は仏性の宿る生きた仏像のようであり、 またそれをも超えた神性が音楽になって創造される、 ひとえに人々の心の琴線に響くものをという無心の境地を、日々、暗闇の中で その一音一音に託し全身全霊で生み出しているのです。 氏が、全存在で集中して創り出している音は、 かのバッハが当時、最も最新の楽器であったジルバーマン ピアノに追い求めていた音であるのです。 「実に、このピアノは、チェンバロ、クラヴィコード、ツィン…