亡国の民、ユダヤ人には「失地回復」を夢見る「シオニズム」運動があったが、その目標にお墨付きを与えたのがこの宣言である。 1917年にイギリスの外務大臣アーサー・ジェイムズ・バルフォアがイギリスのユダヤ人社会の元締めロスチャイルドに送った書簡がこの宣言となっている。そして1948年、イスラエルが建国される。 もっとも、イギリスは1915年にはアラブ人との間に同一の地の確保を保証する「マクマホン宣言」を結んでおり、「約束の地」をめぐりいまなお戦火の絶えない状況を現出する遠因となった。
1925年、シリア、ダマスカスの市街に於いて。 フランス軍は暴徒鎮圧に爆発物を投入し、ナポレオン・ボナパルトの勇壮な精神の輝きが遺憾なく受け継がれていることを内外に示した。 (長谷川哲也『ナポレオン 獅子の時代』13巻より) 順を追って説明しよう。 すべての元凶はイギリスである。 この年の四月一日、エルサレムに築かれたヘブライ大学の開校式に出席するため、アーサー・ジェームズ・バルフォア卿がパレスチナに乗り込んだことが始まりだった。 そう、アーサー・ジェームズ・バルフォア。 第一次世界大戦当時外務大臣の席に在り、例の三枚舌外交を発揮して、中東に百年経っても解決されない大混乱を惹き起こした張本人と…