B.C.1650-B.C.1200ごろ、古代アナトリア(現在のトルコ)に栄えた王国。首都ハットゥシャ(現在のボアズ・カレ、昔のボアズ・キョイ)。
なお、ヒッタイト Hittite とは、彼らの自称名である Hatti(ハッチ)がヘブライ語経由で英語化された言葉である。旧約聖書では「ヘテびと」(ヘット)と呼ばれ、アッシリア人はハッティと呼んだ。
言語は印欧系のヒッタイト語。
印欧系のハッチ人はB.C.2000頃からアナトリア地方に移住した*1。当時のアナトリアには非印欧系のハッチ人(これもHattiなので紛らわしい)が住んでいたが征服された。
その後、ハッチ人は原ハッチ人から継承した製鉄技術に加えて鋼の精製法をも編み出し(もちろんこれらの技術は門外不出の最高機密とされた)、一大帝国を古代オリエントに築いた。*2
一時ミタンニ王国に覇権を奪われるなどの混乱もあったが、新王国時代には最盛期を迎える。
古バビロニア王国(バビロン第1王朝)・ミタンニ王国などを征服してメソポタミアを支配。またエジプトとはシリアの覇権を争った(特に紀元前1285年頃のカデシュの戦いが有名)が、最終的には世界最古の国際条約とも呼ばれる和平を結び友好国となった。
その後、アッシリアの台頭や海の民の侵入を受けて衰退・滅亡した。