トルコ

トルコ

(地理)
とるこ
  1. 小アジア(アナトリア)とボスポラス海峡両岸に国土を持つ国家名。詳細は「トルコ共和国」を参照。→トルコ共和国
  2. 民族名。トゥルク、チュルクと表記されることも。中央アジアで活動した遊牧民族であったが移動を繰り返し、イスラム教を受容することで後期イスラム帝国の主要な担い手の一となる。

トルコの歴史

  • トルコ系民族は、古くから中央アジアから北アジアにかけて活動していたと思われる。匈奴やフン族はトルコ系説が有力だが確証は無い。周代に活動した狄や紀元前後にかけて活動した丁零をトルコ系とし、これらの漢語名を「トルコ」の音訳とする説もあるが、定説には至っていない。
  • 「トルコ」を自称したことが確かな最初の民族は中国史に出てくる突厥であり、トルコ共和国においてはこの突厥が「トルコ民族」の祖だとされている。突厥は、東突厥と西突厥に分裂し、東突厥は、唐に一度滅ぼされ、その後復興するがウイグルに滅ぼされ、その後の動乱により中華圏に組み込まれて消滅してしまう。西突厥は、西へ移動を繰り返し、定住するものも有れば更に西に移動する部族もあった。西遷したトルコ部族の中で強大になったの王朝には、セルジューク朝(1038〜1157)などがある。セルジューク朝は、今のアフガニスタン、イラン、イラク、小アジア一帯を支配下に置いたが1157年に滅亡する。
  • その後小アジアのセルジューク朝下の一部族であった、オスマン朝が勢力を伸ばしはじめる(1299〜1922)。現在のブルサに最初の拠点が置かれた後、バルカン半島に進出してアドリアノープル(現在のエディルネ)に遷都。衰退の著しいビザンティン帝国やバルカン諸国を抑えて勢力を強めた。メフメット二世が、1453年にビザンティン帝国の都、コンスタンティノープルを征服し遷都。これにより、彼は後に「征服王」と呼ばれることになる。その後もオスマン帝国は、シリア・エジプトに北アフリカ、ハンガリー王国へと、拡大政策を継続し、最盛期にはオーストリア・ハプスブルク家の都ウィーン付近まで勢力を拡大。その後はスペイン、ヴェネツィア、ロシア、ハプスブルク帝国などと衝突を繰り返すが18世紀以降、徐々に衰退をはじめる。
  • 19世紀に入り、西欧化(=近代化)を進めるも、欧州の列強の帝国主義的利害の対象となり、20世紀初頭までに、エジプトやバルカン半島などの領土を喪失。第一次世界大戦後、列強によって帝国はアナトリア中央部のみを残して分割・解体された。
  • その間のムスタファ・ケマルの独立運動(特にギリシャとの戦争)により、1923年のローザンヌ条約で今の小アジア一帯とイスタンブル周辺を領土としたトルコ共和国が成立。ケマルの共和国政府は、世俗主義のもとに西欧化、近代化政策を推し進め、その過程でスルタン制・カリフ制は廃止され、オスマン朝は消滅した。2003年はトルコ共和国建国80年。ついでに日本では「トルコ年」。

些末情報

  • 首都はアンカラ。面積は日本の約2倍くらい。国土の数%くらいが「ヨーロッパ」、残りが「アナトリア(小アジア)」。三方を4つの海(地中海、黒海、エーゲ海、マルマラ海)囲まれて、海岸線は7,200キロにも及ぶ。ギリシャの東、シリアとイラクの北、海をはさんでキプロスの北、イランの西にある国。
  • グリニッジ標準時より2時間早い。日本時間よりも7時間遅れ、サマータイムの時は6時間遅れ。
  • 第一次世界大戦後にオスマン帝国が事実上崩壊したあと、第一次大戦の英雄的軍人、ムスタファ・ケマルの指導のもと、アナトリア(小アジア)を中心にして1923年に成立した国家。オスマン王朝、カリフ制度を廃止し、世俗主義を導入して西洋化政策を進めた国。「ヨーロッパ」と「アジア」にまたがる地理的な位置もあって、中東とみなされたり、ヨーロッパとみなされたり。(サッカーワールドカップの予選、トルコ代表はヨーロッパ地区からの出場。)
  • 2003年は「トルコ年」ということで、日本の各地でトルコにかかわるイベントが催された。
  • ローマ、ビザンツ、オスマンと3つの世界帝国の首都であったイスタンブルや、奇岩で有名なカッパドキアなどの観光名所が豊かで、リピーターな旅行者も多い。
  • 1890年、トルコ軍艦エルトゥールル号が台風による強風のため熊野灘沖で座礁・難破した際、串本の地元漁師たちが献身的に捜索や救助活動にあたった。この遭難事故で日本から恩義を受けたと、歴史の教科書にかかれているらしい。
  • 遭難事故から約一世紀が経った頃、エルトゥールル号の恩返しだとして、イラン・イラク戦争まっただ中のイラクに取り残された在イラク邦人を脱出させるため、トルコが飛行機を派遣したこともある。
  • このようなエピソードを通して、トルコには親日家が多いらしい、という言説が人口に膾炙している。
  • 2004年12月にEU加盟交渉が正式にはじまることが決定。
  • 2005年1月にデノミ。通貨トルコリラからゼロが6つ減った。
  • 2005年10月、曲折を経てEU加盟交渉開始。加盟が実現するには10年以上はかかるといわれている(そもそもEUの一員に相応しくないという意見もあり、特にトルコを嫌っているギリシャやアルメニアの人々によるネガティブ・キャンペーンが活発である*1)。
  • トルコ系民族は、歴史的に「純粋なトルコ」と「トルコに似たもの(トルコマン、トルクメン)」に分類されてきた。ここで「純粋なトルコ」とは、トルコ系言語のうちモンゴロイド的外見を持った民族を指し、「トルクメン」とは、コーカソイド的外見を持ちイスラム教を信仰する民族を指す。この意味では一般にトルコ系国家の代表格と見做されている現在のトルコは、トルコ系諸国の中でも「純粋なトルコ」から最も離れたトルクメン的な国と言える。

トルコ料理

フランス料理、中国料理とならぶ世界三大料理のひとつといわれる。
トルコ自体がヨーロッパとアジアにまたがる国家であり、トルコ人も東西を股に掛けて移動してきた民族である。よって料理においても東西それぞれの文化(およびイスラム経由でのアラブ的な色彩)を取り入れたものとなっている。特徴としては、豚肉料理がほぼ存在せず(当然)、羊肉の使用が多い。元々遊牧民族であるため乳製品への嗜好があり、また地中海沿岸に共通に見られるオリーブ油などの使用も行われる。
フランス古典料理がフランス王国の王宮で洗練されたように、トルコ料理もオスマン帝国の宮廷によって磨かれた。

*1:例:『なぜトルコはEUに加盟すべきでないか』(ギリシャ人によるものと思われるもの)

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