1986年(昭和61年)12月9日未明、テレビタレントのビートたけしが、仲間らとともに、写真週刊誌 『フライデー』 (講談社)の編集部を襲撃した事件。
1987年6月10日、東京地方裁判所からたけしに懲役6カ月(執行猶予2年)の判決が下り、控訴しなかったため、刑が確定。
ビートたけし と親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し*1、写真週刊誌『フライデー』の契約記者は、彼女が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が彼女の手を掴んで引っ張るなどの乱暴な行為に及んだ。
これに怒ったたけしは、週刊誌の発行元である講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議したうえ「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の深夜3時過ぎ、たけし及び彼の弟子集団たけし軍団メンバー11人は、タクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗し東京都文京区音羽にある講談社本館の同誌編集部に押し掛けたという。
その結果、暴行傷害事件へと発展。田中康夫による裁判傍聴記においては、当初は軍団メンバーには手を出さないように言っておいたものの、当時の編集次長による空手が得意である旨の発言をはじめとした編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。
*1:当時、たけしには妻がいたので、事実上不倫関係にある