ξ 高度な資本制社会に揺るがないアンドロイドとして最適化可能な理想の自分と その反対の極の、資本主義どころか国家形成のはるか以前、自然や呪術に囲まれ緩やかな自然時間を刻む小共同体の自分と どちらの姿を描いてみてもその場所には 病弱、心身障害、能力差からくる余剰配分の不平等、不公正その挙句の敵対・抹殺は必ず存在していました。 何よりどこに自分を置いても死そのものの理不尽は免れません。 資本主義に変わる理念など何もなく、今後、救済され得る理不尽はたいしたものではないと暴露されるにつれ 人間とは何か、なぜ存在するのかなどという、そもそもワタシたちに無用なつまらない問題がサブカルチャー(日常の生活思想…