マニー・パッキャオ

マニー・パッキャオ

(スポーツ)
まにーぱっきゃお

Manny Pacquiao
マニー・パッキャオ(1978年12月17日 - )は、フィリピンのプロボクサー、政治家。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。

  • ニックネーム:パックマン(Pac Man),デストロイヤー(The Destroyer),アジアが生んだ奇跡、現世のヘンリー・アームストロング
  • 生年月日:1978年12月17日(1976年説もあり)
  • 国籍:フィリピン
  • 宗教:ローマ・カトリック(※ただし出身のミンダナオ島はイスラム教徒が多いが、パッキャオは島の北端のブキドノン州キバウェのキリスト教徒大多数で、そのコミュニティーで育つ)
  • スタイル:サウスポーのボクサーファイター

経歴

  • 1995年1月、プロデビュー。
  • 1997年6月、OPBF東洋太平洋フライ級王座獲得。
  • 1998年12月、WBC世界フライ級王座獲得。
  • 1999年12月、WBCインターナショナルスーパーバンタム級王座獲得。
  • 2001年6月、IBF世界スーパーバンタム級王座獲得。2階級制覇。
  • 2003年現在ボクシングの本場アメリカで最も高く評価される現役東洋人ボクサー。
  • 2003年11月15日中軽量級最強と目されていたマルコ・アントニオ・バレラとの一戦に完勝し評価をさらに上げる。
  • 2004年5月8日、WBA・IBF世界フェザー級王者ファン・マヌエル・マルケスと対戦。1ラウンドに3度のダウンを奪うが、その後追い上げを許し、ドローという結果に終わる。
  • 2005年3月19日、前WBC世界スーパーフェザー級王者エリック・モラレスと対戦するが、僅差の判定負け。
  • 2005年9月10日、WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座獲得。
  • 2006年1月21日、エリック・モラレスと再戦。10RTKO勝利でリベンジを果たす。
  • 2007年10月6日、マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で判定勝ちし、バレラを引退に追い込む。
  • 2008年3月14日、WBC世界スーパーフェザー級王座を懸けてファン・マヌエル・マルケスと再戦、スプリット判定で勝利。王座奪取とともに3階級制覇に成功。
  • 2011年5月8日、米ラスベガス MGMグランドガーデンで挑戦者・3階級制覇チャンピオンシェーン・モズリー(アメリカ)を判定3-0で降し、WBO世界ウェルター級王座2度目の防衛に成功した。
  • 2011年11月12日、米ラスベガスMGMグランドにて、WBA・WBOライト級スーパー統一王者ファン・マヌエル・マルケスと3度目の防衛戦を戦い、両者が序盤から激しく打ち合う壮絶な試合となり、フルラウンド戦った末に勝負は判定に持ち込まれた。判定の結果は2-0となり、パッキャオが王座防衛を果たした。
  • 2012年6月9日、米ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて、WBO世界ウェルター級王座4度目の防衛戦でWBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)の挑戦を受け、1-2で12回判定負け。
  • 2012年12月8日、米ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて、ウェルター級契約で1階級下のWBO世界スーパーライト級王者ファン・マヌエル・マルケスと4度目の対戦で、6回2分59秒KO負け。

プロモーターとしての一面

現役トップボクサーとして活躍する一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。

政治家としての一面

パッキャオは祖国フィリピンで国民的英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を救うために、政治活動を含めて様々な活動を行っている。グロリア・アロヨ元大統領とも仲が良い。2008年12月にはフィリピンのアティー・アチィエンサ環境天然資源相(出身ジムのあったマニラ首都圏小マニラ市の元市長で後援者)が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、パッキャオの対デラホーヤ戦の応援に駆けつけた。アチィエンサは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった。

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