Ramón Díaz
アルゼンチン代表歴のある元サッカー選手で、現在は指導者
フルネーム : Ramón Angel Díaz (ラモン・アンヘル・ディアス)
生年月日 : 1959年8月29日
出身地 : La Rioja, Provincia de La Rioja (ラ・リオハ、ラ・リオハ州、アルゼンチン)
ポジション : センターフォワード
1974〜82 : CAリーベル・プレート
1982〜83 : SSCナポリ (イタリア)
1983〜86 : USアヴェッリーノ (イタリア)
1986〜88 : ACフィオレンティーナ (イタリア)
1988〜89 : FCインテルナツィオナーレ・ミラノ (イタリア)
1989〜91 : ASモナコFC (フランス)
1991〜93 : CAリーベル・プレート (アルゼンチン)
1993〜95 : 横浜マリノス (日本)
1995〜99 : CAリーベル・プレート
2001〜02 : CAリーベル・プレート
2007〜08 : CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ
2001〜02 : クラブ・アメリカ (メキシコ)
2010〜11 : CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ
2011〜12 : CAインデペンディエンテ
2012〜 : CAリーベル・プレート
1979年のワールドユース日本大会でディエゴ・マラドーナとともに優勝に大きく貢献、自身も得点王を獲得した。だが1982年のFIFAワールドカップには出場したが、ディエゴ・マラドーナとの不仲により以後代表としての出場はない。
1982年、CAリーベル・プレートからイタリアへ渡り、SSCナポリ、USアヴェッリーノ、ACフィオレンティーナと渡り歩いてFCインテルナツィオナーレ・ミラノでセリエA優勝に貢献した。フランスのASモナコFCに渡った後、再度母国に帰ったが、1993年、Jリーグ開幕とともに来日。ダビド・ビスコンティ、グスタボ・サパタらを率いて横浜マリノスを牽引。自らも28ゴールをあげて、Jリーグ初代得点王となった。在籍3シーズンの記録は75試合出場で52得点。
1995年に帰国してCAリーベル・プレートの監督となり、1996年リベルタドーレス杯で優勝しトヨタカップにて来日。1996-97前期および後期、1997-98前期、1999-00前期および後期のリーグ優勝を果たし、リーベルの黄金時代を築いた。その後もCAリーベル・プレートの成績が低迷するとファンからは再任が熱望されていた。