今回弘前を訪れた主な目的は、満開のソメイヨシノを心ゆくまで堪能することであったが、その他にもいくつかの目的があった。その一つは、小説や紀行文で興味深く描かれている弘前の地を踏み、そこの歴史に触れてみたいという願いであった。青森県は、江戸時代には西側の弘前藩(津軽藩とも言い藩庁は弘前)と東側の盛岡藩(南部藩とも言い藩庁は盛岡)に分かれていた。下図は、Wikipediaからのもので、津軽地方は、津軽平野を中心とした青森県の西半分である。 司馬遼太郎さん(1923~96)は、紀行文『街道をゆく』の「北のまほろば」で、けかち(飢餓)に悩まされてきたこの地には、縄文の豊かな生活の跡が埋まっていると述べて…