時衆は全国に教線を伸ばし、2世・真教のころには時衆道場の数は100ヶ所にも及んでいる。これらの道場のスポンサーは、その殆どが武士たちであった。意外に思われるかもしれないが、時衆と武士の相性は実はとてもよかったのである。 真教の頃に確立した時衆教団の宗風を簡単に表すと、「念仏を唱えるという、誰でもできる念仏という易行でありながら、同時に欲望を捨て厳しい戒律を守ることが要求される」というものであった。信者に厳しい戒を要求しその可否を判定するのが、時衆の最高責任者である「知識」である。時衆にとって知識は絶対的な存在なのであった。 これは武士社会における主従関係と似ている。成人した武士は「見参」という…